機械式カメラとは当たり前だけどシャッターを切るのに電気を一切必要としない。それはすなわち、操作がとてもシンプルなことを意味する。
フィルム感度を決めて装填したら、あとは絞り、シャッタースピード、ピントを合わせたら、シャッターボタンを押すだけ。なんか、フィルムカメラを始める前は、マニュアル撮影ってたいそう難解なんじゃないかというイメージがあったけど、いざ機械式のフィルムカメラで撮ってみると、拍子抜けするほど操作がシンプルなことに驚く。僕はそうだった。(中判カメラなんかもそうだね)
だって、デジカメであれば感度ダイヤルをグリグリして、撮影ポジション(フィルムシミュレーションやピクチャーコントロール)を決めて、ホワイトバランスはどうしようとか、AF設定はこれでいいかとか、まあ冷静に考えると実にやることが多かったりする。それと比べれば、機械式カメラは恐ろしくシンプルなのだ。
この機械式カメラのシンプルさは、メンテナンスのしやすさも意味する。壊れても直しやすいという点においてね。
写真の僕のLeica M3は初期の1955年製だから、今年で何歳になるんだ?。それでいて今も普通に、いやむしろ非常に感慨深く写真撮影を楽しむことができる。
機械である以上、永遠に寿命が来ないモノは存在しないけど、少なくとも修理さえすれば長く使い続けられるから、いまもこうして元気に道具として楽しむことができる。それは想像以上に気持ちよいことだったりする。
実は昨夜、このM3の距離計が縦ずれを起こしてることに気がついて、きょう馴染みのカメラ店に調整の相談をしたんだけど、ありがたいことにそれほど高価な金額にならず、軍艦部まで外して診てくれるというので、近くお願いしようと思ってる。
今年になってグッタペルカの貼り替えもお願いしたんで、ちょこちょことメンテナンスは必要だけど、そうやって少しずつ手をかけてやれば70年近く、こうして使い続けられるわけである。すごいよね、なんかジンとくるものがあるよなあと、あらためて。
僕はデジカメも愛してるから(しかもオールドデジカメ好きなので)、本当はデジカメだってメンテナンスをコツコツと続けながら何十年と使い続けられればいいんだけど、新品の販売が終了すると部品の調達もだんだんと難しくなり、基板の欠損と共にデジカメは道具としては使えなくなる。そこがね、ちょっとせつないところなんだよね。
カメラはちょっと複雑になり過ぎたのかもしれないね。機械式カメラの機構さえあれば、写真は撮ることができる。フィルムがいつまで使えるかとか、現像機がいつまで稼働するかとか、修理してくれる場所がいつまでしっかり確保できるかとか、それはそれでまた不安もあるわけだけど、機械式カメラには希望がある。そんなことをふと考えるのである。
カメラが複雑になったのと同じように、時代も実に複雑だ。便利になったように思えて、実は僕らは混沌とした何かに追い立てられるような時代を生きている。そんな時代にひと息つくように、機械式カメラでゆっくりとシャッターを切る快楽。
いつまでも残ってほしいな、この一服の清涼剤のような機械式カメラとのひとときが。
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