土曜日の朝、僕はこのPro1を散歩へ連れ出した。昨夜からなんとなくPro1で撮りたいと考える僕がいたのである。その理由はいくつかあるけど、いちばん大きいのは光学ファインダーをのぞいて撮りたいと考えたこと。しかも、できればアバウトなピント、アバウトな画角で撮りたいと思ったからだ。
こう書くと、なにやら精度に欠ける古めかしいデジカメのように聞こえるけど、決してそういうわけではない。アバウトというのは、あくまで窮屈じゃないという意味だ。
それは例えば素通しのガラスのファインダーの中に浮かび上がるブライトフレームのいい具合の不正確さだったり、その素のガラスの中で合わせられるAFのちょっとした甘さだたり。シャッターを切った時のタイムラグと合わせて、それは現行機のように正確無比とか精密とは言い難いけど、週末の心を癒すのには実にいいスローさであり、アバウトさなんだ。
先日、ジェットダイスケさんがオールドデジカメなんかで撮る「ローファイ」の描写の良さを提唱していたけど、そう、その描写を作り出すカメラのほうのローファイの話である。
EVFは撮れる写真をファインダーの中で確認しながらシャッターが切れるという意味では、昔からすると夢のような先進的ファインダーだけど、これだけ連日、電子的デバイスのモニターなんかを見ていると、目だけじゃなくて脳まで疲れるところがある。そんな日々の中で休息となる週末くらい、光学ファインダーをのぞきたいし、あえて正確ではない写真と戯れたいのである。
そんなシチュエーションに、このFUJIFILM X-Pro1はまさにうってつけだ。レンジファインダー機ではないけど、ガラスの素通しのファインダーがのぞけて、しかもAF撮影ができる。考えてみると相当画期的だし、ライカM9時代までと同じような二段階式のシャッターフィールは実に心癒される。それでいて、もう10年ほど前のカメラになるから、いまならかなりお安く手に入れることができる。いいことづくめなのである。
こんなカメラが一台あると、生活のリズムにホッとひと息つける時間が組み込める。美品を見つけるのはだんだんとむずかしくなっているとは思うけど、仮に壊れたってそれほど後悔せずに済む、気負わない趣味カメラ的プライス。今となってはフィルムカメラより僕はお勧めしやすい。とにかくすべてが目まぐるしいこのハイテク時代にあって、少しローテクを思わせる(いや、実は相当ハイテクなんだけどね)デジカメと過ごす週末はいかがだろうか。