いま見ても、なんとも凛々しい姿。FUJIFILM Xマウントの原点である初代X-Pro1とフジノンレンズXF 35mm f1.4 Rだ。決して飾りじゃなくて、いまも現役で使えている。
というか、手に持った時の感触、味のあるシャッターフィール、初代X-Trans CMOSの独特の写りなど、僕的には現行X-Pro3より愛おしいくらいだ。
もちろん、もう10年以上前のモデルになるんで、視度補正がないとか、マクロと遠景で切り替えが必要だとか、街中で速写的にシャッターを切ろうとするとAF合焦までひと呼吸必要だとか、時代なりの古さもなくは無い。
でも、それくらいであって、写真機として使うならいまも不満なく使えるし、いまのカメラにはない趣のようなものを濃く感じる。これは言葉で説明するのはむずかしいのだけど、僕は初代機ゆえに過剰なほど詰め込まれた開発者たちの熱量によるものだと思っている。
僕がなにかと初代機好きなのは、この開発者たちの思いであり執念みたいなものが色濃く感じられるところが大きい。
こういうプロダクトというのは、市場に出たらありとあらゆる声が寄せられる。称賛する声もあるが、多くは不満点だったり改善を要望する声だ。そうしたさまざまな声を手直ししていくと、どうしてもとんがった部分は丸くならざるを得なく、マイナーチェンジのたびに個性が希薄にならがちだ。
そんな影響を最も受けずに作れるのが、ある意味、初代機だけに与えられた最初で最後の舞台とも言えるのだ。そのある種、儚さのようなものを感じながら、シャッターを切るのは、なんとも言えない感慨深さがある。多くの人にはどうでもいいことだろうけど、僕はそういうプロダクトが内包する物語のようなものが好きだ。
幸い、僕のX-Pro1とフジノンXF35mmは、いまだに不調もまったくなく、これから先もまだまだ長く使える気がしている。さすがに壊れた時は諦めるしかないし、もはや同じコンディションのX-Pro1を手に入れることも困難だろうから、現行のカメラたちと仲良くしていくしかない。
けれど、壊れるまでは一連托生というか、仮に現行のX-Pro3を下取りに出すようなことがあっても、このX-Pro1を残して使い続けると思う。変なこだわりでそう言ってるわけでもなくて、実際にX-Pro1の使い心地のほうが僕のカメラの楽しみ方としては相性がいいようなので。
そんなふうに言えるのは、僕がカメラには「写真機としての機能」を求めていて、やれ動画性能とかハイテクなAF性能なんかを求めていないから。普通の多くの人にとってはもちろん最新のカメラがいいと思う。だから、あまり参考にならない意見かもしれないけど、まあ世の中には写真機らしさにこだわる人間も少数ながら存在するということで。
それにしても、X-Pro1のシャッターフィールには、あいかわらず魅せられる。このサウンドを設計、チューニングした人には心の底から「感動をありがとう」とお伝えしたい。スペシャルサンクスです。
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