FUJIFILM X100V

FUJIFILM X100Vの「ちょうど良さ」について。

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FUJIFILM X100V

先日発表された富士フイルムのX100シリーズ6代目「X100VI(シックス)」が話題だ。円安の影響が大きく、日本国内ではかなり販売価格が上がってしまっているものの、それでも人気を集めている様子はなかなか圧巻である。

願わくば、前機種となる5代目「X100V」のように驚くほどの品薄にならなければいいが、と思うものの、世界的に予約が絶好調のようだし、この感じだと絶対に手にしたい人は最初の予約時の初期ロット出荷品を手に入れたほうが無難かもしれない。

僕が現在所有するX100Vを購入した頃は、まだ普通にカメラ店に出向けば売り場にデモ機があって触れて、色もシルバーとブラックが普通に在庫の中から選べて買って帰れたけど、いま思うとかなりラッキーな時期に手にできたのかもしれない。

実際、X100Vは素晴らしくいいカメラだ。なにがそんなに素晴らしいかというと、すべてにおいて「ちょうど良い」ということがこれでもかというくらいに一体化されている点じゃないかと思う。

デザイン、大きさ、重さ、焦点距離(35mm判時の画角)、レンズ開放値、あるとうれしいハイブリッドビューファインダー、クラシックネガが選べるフィルムシミュレーションetc. …。それらが絶妙な「モノの良さ」を感じるボディの中にすべて一体化されている。

FUJIFILM X100V

このX100Vを一度触ると、もうカメラはこれ一台あればなにも困らず、豊かな写真生活が送れそうと感じるのである。

少なくとも僕はそう感じた人間で、それまでM型デジタルライカやNikonフルサイズミラーレスをメインに使っていた生活から、一気に常用カメラがX100V引っ張られてというか、ラフでライトなカメラ生活へと流れていったように思う。

ちょうどフィルム価格が高騰し始めた頃で、心のどこかでフィルム生活に代わる(フィルム感覚を忘れずにいられる、というニュアンスが近いかな)体験を求めていたこともあり、クラシックネガをはじめとするフィルムシミュレーションを選んで、その日のフィルムを装填するかのような富士フイルムの撮影スタイルもハマったことが大きい。

もちろん厳密にいえばフィルムカメラの代用ではないのだけど、気分的にはコンパクトなフィルムカメラで撮る「あの感覚」がこのX100Vにはギュッと詰まっていた。サイズやラフな感じも含めて、「あ、僕がカメラに求めてきた感触はこれだ!」と頭と体が無条件に反応した、という感じなのだ。

もし、同じような感覚を求めている人が多いとするなら、このカメラの実機を一度でも触ってみると「んー、欲しい」となる気持ちはとてもよく分かる。CP+の会場でデモ機を触った人たちが、例え高価と思いつつも「欲しいと思った」とつぶやいていた人が多かったのも、X100VIらしい現象じゃないかと思った。

FUJIFILM X100V

このX100VやX100VIを触ると、そのカメラと過ごす日々のシーンが自然と思い浮かぶみたいなところがあるんじゃないかな。肩肘張らずにライトに持ち歩いて、それこそ自然体で思い出のシーンを切り取って友人たちと写真を共有できるイメージ。

デザインを見て、手にとってみることで、そうした利用シーンが想起しやすい感覚が、このカメラの最高性能なのかもしれない。

そうやって手にしたカメラは、それこそスペックだけで選んだようなモノじゃないから、そんなに頻繁に買い替えるモノでもない。そうすると5年、いや壊さなければ10年だって愛着を育むように使い続ける(たぶん、そんなことも意識すらしない自然な毎日の相棒として)だろうから、そうすると決して高価でもなく、むしろコスパの良いカメラだとも言える。

そういうところまでひっくるめて、本当に「ちょうど良さ」が詰まっているのがX100Vであり、こんどのX100VIなのだ。

フィルムカメラと少し距離ができたことで少し気持ちが沈みかけていた僕が、ちょっと新しい「らしさ」を見出せたようなきっかけになったX100V。単にスペックじゃなくて、そのカメラがあるじぶんの日常がイメージできることが、本当の意味での趣味のカメラとしてのX100シリーズの魅力なんじゃないかな。

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