FUJIFILM X-Pro1

X-Pro1が僕のもとへ帰ってきた。運命しか感じない。

FUJIFILM X-Pro1

ひとはなぜ、一度手放したカメラやレンズを再び手にするのだろうか。それは、たとえば過去の思い出がまぶしく感じられるのと同じ郷愁みたいなものかもしれないけど、今回のこのX-Pro1を再び買い戻した感情は少し異なる。

当時の僕は今ひとつFUJI機の良さを本質的には理解できていなくて、このX-Pro1ももっぱらオールドレンズ専用機みたいな使い方しかできていなくて、やれ光学ファインダーのピント合わせがレンジファインダーのそれとは違うみたいな理由で、なんとなく手放してしまったんだよね。ほんと、明瞭な選択眼というよりは、恥ずかしながら浅い見識で手放しちゃった。

FUJIFILM X-Pro1

でも、今の僕は少し違うんだ、FUJIFILMのカメラやレンズに対する印象がね。少しじゃないな、かなり違う。ひょんなことからX100Vを手に入れて以来、オールドレンズ 縛りとかいう価値はもはや大した問題じゃなくて、FUJIFILMのカメラと現行AFフジノンレンズたちの綿密な作り込み、そしてフィルムシミュレーションをはじめとする富士フイルムが紡ぎ出す写真の描写の素晴らしさに、あらためて魅せられまくっているのである。

つまり、あの頃使いきれていなかったX-Pro1の本当の魅力を、いまなら自然体で感じとったり、もっと引き出したりすることができるんじゃないかと考えたんだ。だから、実は少し前からX-Pro1のことは気にしてカメラ屋で探していたけど、あいにく程度のいいモノに巡り会えずにいた。ところが出てきたのである、使用感のないとても美品のX-Pro1が。

FUJIFILM X-Pro1

しかも、ポイントもかなり貯まっていたから、追金もそれほどかからず手に入れられる。もう迷わず連れて帰ることを決めたのである。それにしても、三角リングも革ガードもストラップも使用された痕跡がまったく無くて、果たしてこれは本当に実用機として使われてきたカメラなのだろうかというくらい美しい。この点も僕の気持ちを高めてくれたポイントだと思う。美しいX-Proシリーズだから、美しいボディで堪能したい。そんな気持ちにグサッと刺さってきたのである。

なにはともあれ、まずは明日からの年末年始休みを使って、Pro1のアノ感触を思い出したい。僕はFUJIのXシリーズの原点を感じたくてX100初代機もいま使ってるけど、このX-Pro1もまさにXシリーズのルーツといっていいカメラ。カメラの開発者たちが初代機に込める熱量みたいなものは並大抵じゃないことは容易に想像がつく。その凄みとか伸びやかさを堪能したい。おかえり、X-Pro1。あらためて、よろしくなのである。

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