カメラへの思い

レフ機は、過去のものではなくなろうとしている。

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PENTAX K-1 Mark II, Super Takumar 55mm f1.8

それはお前の勝手な思い込みだと言われれば、それも否定はしない。実際、世の中のカメラは全般、ミラーレス機へとシフトしていて、かたやPENTAXのデジタル一眼レフ機は今後どうなるの?なんて心配もされている世の中だったりするので。

たしかに、NikonやCanonといった二大メーカーがミラーレスのマウントシステムを発表した頃には「カメラ界はレフ機からミラーレス機へとシフト」といった、そう、シフト(移行するなり入れ替わるなり)という考えを僕も抱いた。

けれどそれから数年。いま思う個人的な感覚としては「全面的シフト(ミラーレス一色へ)」というのとはちょっと違っていて、「レフ機もひとつの”ジャンル”」として残り続けていくべきものなんじゃないか、と感じている。

PENTAX K-1 Mark II, FA 31mm f1.8 Limited

まあ、レフ機への個人的な思い入れからそう感じているという側面も否定しない。けれど、ここにきて、なんか周囲の人たちのなかでレフ機が見直されてるなと感じたりもするのだ。もちろんそれはプロ機とかの世界の話ではなく、趣味のカメラの世界の話だ。

過去のものとして完全になくなるのではなく「ジャンル」としてポジションが残っていく感じというのは、僕の中では「フィルム」と似ている。フィルムはたしかに値段の高騰なんかで順調とは言えないが、もうデジカメへのシフトでフィルムは無くなると20年前から言われているが、無くなってはいない。

PENTAX K-1 Mark II, PENTAX 17

それはやはり「フィルムでしか体験できないモノやコト」が存在し、それを「ひとつの表現ジャンル」としてあいかわらず求め続ける人たちが存在するから、完全には無くならないのだと思う。決して過去の郷愁とか懐古主義で求められているものではなく、若い人がフィルムをチョイスするのはそういうことだと思う。

それと同じような感覚が、趣味のカメラの世界では「レフ機は過去のものではなく、ひとつのジャンルになる」という現象で現れてるんじゃないかと感じるのだ。もちろん多数派ではないから大きうねりこそ感じないが、趣味の世界の「ニッチ」は侮れない。数は少なくても、それは深く濃いのだ。

Nikon Df, Ai Micro Nikkor 55mm f3.5

あの光学ファインダーじゃないと感じ取れない「目の前の光景との間に異物が挟まっていないダイレクト感」みたいなものだったり、少々大きめのショックと音が出てしまう分だけ脳を震わせ歓ばせるあの「官能的なシャッターサウンド」だったり、ちょっとドッコラショと抱えるような少々大ぶりなボディ。でも、それが趣味の世界としてはたまらなくいいのだ。

そういう、どこか人間らしさというか五感、アナログ感かな、そういうものを残したレフ機が、ここにきて見直されてるんじゃないかと、ふと感じるのだ。少なくともぼくはそう感じて、いまもレフ機をけっこう多用している。なんてことない、ただ「楽しく、気持ちがいい」からなのだ。

Nikon D750

考えてみると、数年前まではカメラといえばみんなレフ機を使っていたわけで、レフ機はなにも特別なものではない。僕はそこがいいとも思っていて、実用品として成熟の域にあるから、どのレフ機もとにかく使いやすい。カメラ選びに失敗も少ないだろう。それでいて、いまはかなり安く手に入れられる。普通にいいことだらけなのだ。

趣味の世界は単にお金をかければいいってもんじゃない。あくまで趣味の範囲で使える財布のことを考えると、できるだけ安い投資でできるだけ濃い感激を探求するところにおもしろみがある。そう、趣味の世界こそプライスレスなのだ。

だから、いまこそ「レフ機」。ふだんのメイン機はミラーレス機であっても、一台くらいレフ機を持っておいて、ある日ある時、あの「濃い味」を堪能する。こんな気分転換こそ趣味の醍醐味だったりする。(そんな気分を代弁してくれるような、まきりなさんの動画を置いておきます)

昔使っていたメーカーのレフ機でもいいし、昔は縁がなかったメーカーのレフ機をこの機会に触ってみるのもおもしろいと思う。レンズも安いから、まさに一石二鳥だ。さあ、気持ちが高まってきたら、明日の日曜日にでも中古カメラ屋をのぞいてみよう。そして、許せる範囲の予算で掘り出し物のレフ機を家に連れて帰ってみよう。

いやあ、けっこう刺激的な2025年になるんじゃないかな。たかが趣味だけど、人生においてはされど趣味なのだ。

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