カメラへの思い

カメラで毎日をデザインする。

FUJIFILM X10 & LUMIX LX100 II

カメラは言わずもがな「写真を撮る道具」であって、写真が主役ならカメラは脇役だ。けれど、カメラがあって初めて写真が撮れることを考えると、すべては一台のカメラから始まる。

まず、常にカメラを持ち歩いておくこと。そして、持ち歩きたいと思わせる相棒とかファッションと呼べるカメラであることが、なによりも最初のスタート地点だ。

昨年夏に話題になったNikon Z fcなんかは「カメラの機能のことは詳しくわからないけと、とにかくあのデザインがかわいい」と言って手にする人もいたと思う。それは素晴らしいチカラであり現象だと思う。

カメラを首からぶら下げる、肩からストラップで体の一部にして街を歩く。その姿は、どんなアクセサリーを身につけるよりも僕なんかは素敵に見えると思う。たぶん、そこにその人のストーリーを感じるからだと思う。

ひとたびカメラを身につけて歩けば、少なくとも数枚はシャッターを切るだろう。それはおそらく、スマホカメラでは気にもとめず撮らなかったであろう一枚だと思う。けれど、カメラとレンズを身につければ不思議と見える世界も変わる。カメラにはそういうチカラがある。

家の近くを散歩する時。ふと買い物に出かける時。仕事で移動する時。誰かと語らう時。自然の四季と対峙する時。とにかくカメラといればシャッターが切られ、そこには「その時、その場所にいた証としての写真」が写り、世界に一枚しかないオリジナル写真が残る。

考えれば考えるほど、カメラとは偉大な道具であり、クリエイティブな装置だと思う。生活が舞台であり、そのシーンなり写真が主役とするなら、それは脇役のカメラひとつでさまざまな情感描写へと変化する。

そして、それはそっと心を動かす。撮る人の心を豊かにし、撮られる人の、もしくは写真を受け取る人の心にまでポッと火を灯す。その脇役である感じが、カメラの存在感としてはまたたまらないのである。

カメラを持つことは、明日をデザインすることでもある。生活とはいつも劇的であるわけではなく、むしろ平凡であることのほうが多い。だからこそ、そこにカメラを添えて少し明日をデザインする。

そう考えると、これほどまでに素敵で発明的な道具って、他に無いんじゃないかと思うのである。

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