
きのうSNSにもポストしたのだけど、富士フイルムが新しいブランドスローガンを公式YouTubeや公式ホームページで発表していた。
「愛おしさという哲学。」
なかなか王道的というか、ど真ん中ストレートのような感情を哲学的に考えるという、とても根源的でひろい解釈ができるフレーズだと思う。まずはそのブランドムービーをご覧いただきたい。
僕は富士フイルムのカメラがとても好きだ。それは、このムービーのなかにも言葉として出てくるが、「写真機」という捉え方によるところが大きい。
いまの時代は動画撮影も高度にこなすカメラが求められ、その機能や性能の高度化も著しい。それはそれで未来も感じる。しかし、あまりにめまぐるしい時間の流れに、ふと静止画である写真の良さも再確認するじぶんがいる。いかがだろうか。
僕は「写真」が好きだ。それはこのダイナミックに動き続ける時間や時代の流れの中にあって、一瞬息を止めて立ち止まる貴重な感覚であるし、一枚の写真を眺めることで数十年前に時間を巻き戻すこともできる。
その時を止めて、その場の光や形を封じ込める写真の感覚、その価値だけは永遠に不変のように思う。そうした不変なことを根底に置き続けているから、富士フイルムという会社は「フイルム」という言葉を社名に置き続けているのだと考えている。個人的な解釈だが。
それはカメラ屋ではく「写真屋」であるいうアイデンティティなんじゃないかな。写真屋とじぶんたちを規定することは、けっこう容易ではない。カメラ屋であれば機材の技術革新を突き詰めればいいが、写真屋となると途端にカバーしなければならない領域が技術革新のみならず、「写真にのせる思い」にまで広がるから。
パーソナルとしての「写真」だけでなく、写真文化という世界の裾野のことまで考えざるを得ない、そうした写真屋であることをあえて自認し、たびたびメッセージにしてモノ・コトづくりに反映させている富士フイルムの姿に、僕は惹きつけられる何かがあるんだろうと思う。

伝統的なフィルムの供給をのぞむ声もあいかわらずあれば、一方で先進的な技術を求める声もあり、加えて写真をコミュニケーションツールとして捉えるとなると、そのフィールドは実に広大だ。それをカバーし続けようとする富士フイルムの挑戦とは、なかなかヘビーなのだ。
僕は、そんな富士フイルムの挑戦者的なスピリットが好きで、FUJIFILMのカメラたちを愛おしく思えるのかもしれない。時代は刻々と変化しているが、変えること以上に変えないことをしっかりと見極めることもまた、未来への道筋だ。富士フイルムには、大変だと思うが、ぜひ粋に感じて頑張ってほしい。かげながら応援している。