PENTAX K-3 Mark III

K-3 Mark IIIが一眼レフの良さを再確認させてくれた。

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PENTAX K-3 Mark III

ここ最近ブログをのぞいてくれてる人は分かると思うけど、僕はいま古い一眼レフ機にいま一度目を向けている真っ只中で、それは同時に「趣味のカメラとは?」ということを再確認させてもらってるような気がしている。

その大きな契機になったのは、今年の春先に僕のもとへやってきた現行一眼レフ機、PENTAX K-3 Mark IIIであったことは間違いないだろう。

ご存知の通り、カメラメーカー各社がフルサイズミラーレスの充実に大きく舵を切っている中で、いまや唯一の一眼レフメーカーになったと言っていいPENTAX。その最も新しく、一眼レフ宣言のシンボリックな製品となったのがK-3 Mark IIIだ。

世の中の流れに乗るという意味でいえば、いまカメラを手に入れるなら普通にミラーレス機をチョイスするのが自然だし、その高性能ぶりたるやフルサイズ機に留まらず、APS-Cやマイクロフォーサーズまでまさにミラーレスの進化が止まらない。

そうしたなか、あえてデジタル一眼レフを選ぶというのは、ある種、普通のことではない。けれど、それでも新品のカメラとしてK-3 Mark IIIを選ぶ人たちが少なからず存在する。その意味、意図とはなんだろうか。

PENTAX K-3 Mark III, DA 20-40 Limited

僕に関していえば、率直なところ、一眼レフを選んだとかAPS-C機を選んだという意識は実はあまり無い。選んだのは「K-3 Mark III」というカメラなのだ。このカメラならとにかく撮っていて楽しいんじゃないか?というオーラというか直感でそう感じたのだ。

少々オーバーにいえば、K-3 Mark IIIを選んだら、それがたまたま一眼レフであり、APS-C機であった、と言えば言い過ぎだろうか。でも、僕はK-3 Mark IIIを購入する時、その場でいちおうSONY α7現行機らも触った上で最終的にK-3 Mark IIIを選んだんで、その時点ではミラーレスとも公平に比較したと言える。

でも、触ってみて思ったのは、やっぱりシンプルに「K-3 Mark IIIのほうがおもしろそう」と感じたのだ。このカメラと人生を過ごすのはアリだなと、ちょっと悟ったような気がしたのだ。

僕が購入した頃はいまより値段もまだ高くてレンズと込みで30万円ほどしたと思うから、それだけの金額を出して本当にミラーレスじゃなくて一眼レフでいいのか?というじぶん内葛藤みたいなものといえばいいだろうか。それでも1ミリも後悔とか不安とかを感じないのがK-3 Mark IIIの不思議なところでもある。

そうしてK-3 Mark IIIで撮り始めた結果、冒頭で書いたように結果的に今一度、一眼レフにハマることになるのである。一台のカメラとの出会いが世界観や人生観を変えることは、あるのだ。

少し残念なことがあるとすれば、僕が購入した直後くらいから、PENTAXのカメラたちはネット販売のほうにシフトして、普通の家電量販店なんかではデモ機に触ることがむずかしくなったこと。

このK-3 Mark IIIほど、グリップを握ったり、ファインダーをのぞいたり、シャッターを切ったりすることで五感に訴えてくるカメラはなかなか無い。それだけに本当は多くの人が実機に触れられる空間が身近にあったほうがベストだと思うんだけど、こればかりは時代の流れとして致し方ない。

PENTAXがじぶんたちらしい道を歩むためには、予算や効率化の面からそうした選択と集中が必要だったのだろう。

PENTAX K-3 Mark III, DA 20-40 Limited

けれど、趣味のカメラとしてのある意味、希少性みたいなことでいえば、ある程度どこの家電量販店でも触れる他のカメラメーカーのミラーレス機とは異なり、なかなか触る機会はないけど、その分、触るのに値するエモーショナルなネット上の疑似体験、もしくはブランド訴求みたいなものに期待を寄せたいと考えている。

一眼レフとは古いものなのか?そういうモノサシではなく、趣味のカメラとしてどんな感覚をじぶんは求めるのか?、そういうことをこのK-3 Mark IIIは考える契機をくれる一台じゃないかと思っている。言葉で説明するのは非常にむずかしいが、このカメラにはある意味、メッセージのようなものが詰まっていると僕は感じている。

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