
この眺めが、いかにも「Nikon」らしくていいなあと、朝からひとりで道端でうなっていた笑。昨日もブログに書いたけど、このスペシャルエディションのNikkor Z 40mm f2は、そのいかにも往年のAIニッコールらしいシルバーリングと特徴的なローレットパターンに、フィルムニコンを知る者としては、やはりジンとくるわけである。
Nikon Zfはどんなレンズをつけても大抵似合ってしまう男前なカメラだけど、この純血ニッコールを装着することで、本当の意味で「完全体」になった気がするのだ。
描写も、やはり決定づけるのは最後はレンズなわけで、このNikkor Z 40mm f2の写りは驚いた。写真の出来栄えは僕の腕前の問題なので置いといて、そのキレとボケの絶妙な描写は、シャッターを切るたびにファインダーとモニターに映る絵に思わずため息が出る。素人目にも、このレンズはちょっと違うぞと。





朝陽がいろんな入り方をしても破綻しないところは現代的だと思うし、光と色の交錯する部分の綿密な描写と立体感が、なにやら凄いのである。もう僕の語彙力では説明できないのですまん。
機材による気分転換という意味では、たしかにボディをチェンジしたり新調したりするのが見た目にも変化が大きく分かりやすいのだけど、それよりなにより「レンズを変える」ことのほうが効果は実は絶大だ。絶大といっても、見た目の大きな変化というより、なんとも言えない気配の変化だ。でも、それが尊い。






これは、しばらくはもう、このレンズZ 40mm f2から離れられない気がする。といっても手元には一本しかないから、ZfとZfcには同時につけられないけど、そこはノクトンクラシックなども交互に入れ替えながら、なるべくはZ 40mm f2の出動頻度を増やして、このレンズの奥深さみたいなものものぞいてみたい。
それにしても、これだけの質の高いレンズがシリーズ最安値でキットレンズ化されていることにほんと驚く。Nikonは、言ってもその源流は日本を代表する光学メーカーで、値段の高い安いでレンズの本質がどうこう変動するようなモノづくりをしていない。いや、僕は中の人じゃなく、ただのアマチュアの写真愛好家だけど、そういう心意気みたいなものはやはり感じる。

感じるというのは、スペック数値なんかを超えて凄いことなのだ。カメラは「レンズ」、そう光学の巨人がつぶやいているように僕には感じる。とんでもないな、Nikon。そういうところが、大好きだぞ。