Olympus PEN-F

カメラとランニングは少し似ている、ということについて。

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庭にて。Olympus PEN-F, Color-Skopar 35/2.5 C-type

それはね、何も特別な場所へ行かなくても、家の近所で全然楽しめる、ということなんだ。なんだそんなことか?と言われるかもしれないけど、これは「細く長く続けられらる」という意味ではとても大切なこと。

カメラなら家の中で家族や愛犬の素顔を撮ったり、庭の草花を撮ったりだって楽しめる。玄関を出て散歩へ出かければ道端の小さな季節のうつろいをシャッターに収めることができる。なにも絶景のある場所まで車を数時間かけて走らせなくても、カメラという機器そのものは十分楽しめるものなんだ。僕はもうこの恩恵にとても幸福を感じ、カメラというモノに出会えたことをほんと感謝している。

これ、何かに似てるなあと思ったらランニングだった。スポーツって基本、複数人でやるものだし、例えば僕がやっていたスイミングだったら少なくともプールまでは出かけないといけない。あと、卓球場とかテニスコートとか、ある程度広いグラウンドとかね、そのスポーツを楽しむためにどこかしら場所を求めて移動が必要だったりするスポーツが多い中で、ランニングだけは家を出ればその場から始められる。実はこのメリットは相当偉大だと僕は考えている。

何が偉大って、長続きしやすいってことなんだよね、やはり。僕ら人間の日常は忙しい。それでなくても時間は貴重で、何か新しいことを始めようと思ったら、何かを代わりに諦めないといけない、そんな多忙で時間の奪い合いのような日常を僕らは生きている。だからこそ、どこでも、いつでも、手軽にできるコト・モノっていうのは、途轍もなく実は貴重なんだ。

いや、カメラだってね、もちろん時間という苦労をかけることで、抜群のロケーションに出会えたり、ふだんは撮れない瞬間に出会えたりして、それは大きな写真のモチベーションになる。けれど、決してそうじゃない状態でも楽しめる、ある意味公平な道具がカメラなんだ。少なくとも僕にとっては、カメラはそんなとても包容力のある存在だ。だから、これまで何をやっても飽きやすく長続きしなかった僕が、カメラだけは長続きしている。あ、ランニングもね。

世の中は、近所だって世界なんだ。地球上の中の一角である「近所」。世界の中の砂粒よりも小さな存在かもしれないけど、そこも地球儀上に存在する片隅の世界。そういう場所で地球人として静かに写真を撮ったりしていることは、僕はけっこう厳かで神秘的なことなんじゃないかと思ってる。あ、ランニングしてる時にそんなことをふと考えたりするんだよね。やはり、カメラとランニングが似てるからかな。おもしろいよね、この世は。

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