Leica M typ240, Summar 50mm f22026年の最初の連休がやって来た。かといって特別にどこかへ出かける予定もなく、午前中の雑用のために暗いうちに朝の散歩へ出かけた。相棒は、Leica M typ240とSummar 50mm f2だ。
ズマールはライツ時代の味のあるレンズ。年末に程度の良さそうな個体を見つけたので、何年かぶりに買い戻した。ゆえに、レンジファインダーで撮りたい朝というより、ズマールで撮りたい朝だった。
ズミクロンと同じ開放値f2のレンズだから、ズミルックスのように大きなボケを期待するものではないが、ズマールにはなんともいえないゆらぎ感が混じる。僕的にはそれが「まどろむ」感じがあって、そうした写真を撮りたい気分の日があるのだ。
Leica M typ240, Summar 50mm f2被写体はなんだっていい。いつもの散歩道だから特に見栄えのする光景もないが、光と影と若干の奥行きのある道端があれば、僕的には十分写真と撮影体験は楽しめる。街に出るよりもゆっくりカメラを構えられるのもいい。
いわゆるオールドレンズは、モノにもよるが比較的安価に探せるので、そういう意味でも親しみある距離感のレンズでいい。ライツのレンズでも僕が普段使いしているモノは、沈胴ズミクロンやMマウント初期のエルマー、眼鏡付きズマロンなんかは現行品の1/10くらいの価格で探せるし、このズマールにしてもしかり。
それでいて、1930年代から1950年代という、いまから70年前とか90年前に想いを馳せてシャッターを切ることができる。この時代のレンズとなら、なにか精巧な写真を撮ろうみたいな打算的な考えが思い浮かばないのもいい。むしろ、現代レンズにはない描写を見せてくれとさえ思う。
Leica M typ240, Summar 50mm f2
Leica M typ240, Summar 50mm f2
Leica M typ240, Summar 50mm f2もちろん、撮る技術の凄い人が撮れば、そうしたオールドレンズでも見事な写真を撮るわけだが、僕のように技術のない人間はそんな崇高な考えはしない。ちゃんと撮っている人には怒られそうだが、レンズの甘さを「味」として楽しむことで十分、趣味の世界としては楽しめている。
もう二日もすれば、今年も成人式だ。大人になって社会に出ると、なにかと「ちゃんとしていること」とか「正確であること」を求められるが、それにデジタル時代も加わって日常はとかく窮屈に思うことが出てくる。それとバランスを取るかのような緩さのようなものが、僕はどこか必要なんじゃないかと思っている。
その点、カメラはいい。精巧に撮ることを目的とした機材もあるが、一方でローファイ的な楽しみ方ができる機材もたくさんある。最近だと、あえて低画素のトイデジなんかが人気なのも、僕はけっこううなずける。きちんとしたくない日や、きちんとしたくない瞬間があるからね、人間は。
Leica M typ240, Summar 50mm f2
Leica M typ240, Summar 50mm f2
Leica M typ240, Summar 50mm f2二十歳になる記念に、なにか大人の趣味のようなものを始めようと考えている人には、カメラと写真はおすすめだ。SNS時代ともいえる現代、写真を撮らない日などは存在しない。どうせ撮るなら、スマホカメラで撮る写真とはちょっと異なる写真と、それを撮影する所作を楽しむのは悪くない。
上手い写真というより、じぶんをちょっと緩めたい時の、少し緩いカメラやレンズたちで撮る、ちょっと緩い写真たち。意外とそういう時間が、時代の窮屈さから開放してくれる、もしくはバランスをとってくれるということはあると思うよ。














































