Leica M typ240 レビュー

Typ240 M型ライカとの再会。

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Leica M typ240, Summicron 50mm f2 1st

久しぶりに触り、少しシャッターを切ってみた感覚は、紛れもなくTyp240のLeicaだった。そう、かつて人生で初めて手にしたM型デジタルのTyp240が、数年ぶりに僕のもとへ帰ってきたのだ。

正確にいうと、以前使っていたTyp240はプロユースと言われる「M-P」で、今回手にしたのはスタンダードな「M」なので、そこは姿形も少し異なり新鮮だったりする。

もう10年ほど前のモデルになるから、特にここであらためて話すような特筆すべきものは無いのだけど、まあ僕にとっては忘れられない何かが宿ってるわけで、人に歴史あり、カメラに歴史と思い入れあり、ということになる。

かつて使っていたLeica M-P typ240

でも、再び手にするにあたり、布石みたいなものはあった。僕がカッコいいフォトグラファーだなと思うcandyさんが、Leica M typ240で撮られた写真をXにポストしてる様子に釘付けになったり、写真家の新納翔さんが同じく以前使っていたM-P typ240の再購入を考えているという思いをラジオで聴いたり。

そういうリスペクトしてる人たちがいまだにTyp240を愛機にしたり話題にしてるのを目にして、ちょっと郷愁にかられるじぶんがいたり、あの描写と質感を五感で思い出し、あゝやっぱりいいカメラなんだよなTyp240、と再認識する僕がいたのである。

Leica M typ240, Summicron 50mm f2 1st
Leica M typ240, Mr.Ding 50mm f1.1

再び手にするにあたり、その購入資金のためにいくつかの大切にしていたカメラを手放した。どのカメラを手放したかはここでは触れずにおこう。まあでも、そうしてでもLeica M typ240と再び日常を共にしたいという思いが強かった。どことなく動く心の準備はできていたわけだ。

そんなところに、とても程度のいい、使用感がないようなM typ240と遭遇した。ブラックペイントのかすれすら見当たらず、シャッターを切ってみても使い込まれた感触が一切ない。これは、僕が使いこんで真鍮の姿や手に馴染む感じを形どっていってくれ、という運命みたいなものを感じた。

まあ、やはり、何か人生を共に歩む絆がTyp240というカメラとの間には存在していたのだろう。このカメラを目の前にして直感的にそんなことを思い、手にするに至った。

Leica M typ240, Mr.Ding 50mm f1.1

カメラは写真を撮る道具なわけだけど、道具という存在を超えた何かがあると僕はずっと思っている。それこそ、相棒的な何かなんだろうけど、言語化するのはむずかしい。でも、その言葉にならない難解さこそが運命であり絆なんだと思う。

少し試し撮りをしてみたが「そうそう、この感じ」という時間を巻き戻した感覚が凄かった。とはいえ、かつてのM-Pではなくて新鮮な「M」。デジタルゆえにどこまで一緒に人生を歩めるのかは不明だけど、末長く大切に、でも使い倒すようにシャッターを切りまくっていきたいと思う。

そんな続きは、またこのブログで。

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