カメラの使い方は人それぞれだから、他の人にとってのライカがどういう存在なのかは分からないけど、僕にとってのライカはタイトルに書いた通りだ。
このカメラを手にしたからどこか特別な絶景を撮りに行こうなどと考えることもない。むしろ、それなら僕はFUJIFILM GFXやNikon Zf、PENTAXの一眼レフを持っていくことだろう。
それに対して、ライカはもっともっと日常的だ。ストリートを撮ることもあるが、ボディもレンズも比較的コンパクトであるがゆえに、朝のなにげない散歩にさっと手にとって連れ出すくらいの感覚のほうが圧倒的に多い。
その使い方は、フィルムライカのM3を連れ出す時と同じ感覚だ。ノーファインダー気味でストリートで速写するのもたしかにエキサイティングだが、できればあのガラス素通しの「普段着」のようなファインダーをのぞいてゆっくりシャッターを切りたいのだ。
そんなことに高価な予算を投じるのもいかがなものか?というのは、僕もそう思う。だから、ライカは本来、もっと日常的な記録が手軽に楽しめる価格であるべきだ、とすら思う。このフィーリングをブランド品などとありがたかっているのは、非常にもったいない感覚なのだ。
僕の場合はレンズもフィルムライカのM3で使っているものをそのままM型デジタルにも装着しているので、そこにも特にコストはかけていない。現代的レンズにしてもコシナのノクトンやカラースコパーがあれば、軽さや扱いやすさ的にも十分だ。
そうやって撮る写真も特段披露するほどのものでもない。ただ、じぶん的にはライカで撮った写真を後から眺めるのは楽しい。ちょっとした記憶の断片や、その時の光と影の交錯、そしてレンズとライカのセンサーが織りなすバランスなどを読み取るのはなかなか楽しい時間だ。
なにか特別に振り切った派手さや感動があるかといえば、そういうことよりももっと身近で日常的な呼吸のようなリズムがそこにはある。それが、僕にとってのライカ。そういう距離感が心地いい人にとっては、これほどフィットするカメラは他にないかもしれない。そういう、ある意味で地味さがライカの息長い人気なのかもしれない。
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