僕は写真愛好家というよりカメラ愛好家だし、もっといえばシャッター愛好家なんだよね。
この場合の「シャッター愛好家」とはシャッター音とその感触が好きというのもあるけど、そもそも「シャッターを切る」という行為が好きなんだよね。なんだか、本気で写真にこだわってる人たちからは「ナメとんのか」とか言われそうだけど、僕が来る日も来る日も懲りずにカメラと外を歩いてる理由はこれに尽きる。
もう少し正確にいうと、カメラとレンズとフィルム(デジタルの場合はセンサー)の掛け合わせの妙を楽しんでいて、シャッターを切るというのはさしずめそのスイッチみたいなことで、少し大げさにいえば、その瞬間、僕はこの世にいたということを再認識するためにシャッターを切っている。うまく伝わるだろうか、この感触。
そうか、僕は写真というより、カメラというより、シャッターを切る行為が好きなんだと気づいたあたりから、フィルムであることとかデジタルであることはあまり気にならなくなった。今はむしろ、デジタルのほうが出番が多いしね。特に「センサー」の違いみたいなのを確かめるのがとても楽しい。フィルム写真は「フィルムとレンズ」が撮れる写真を決めると言うけど、これ、デジカメなら「レンズとセンサーが決める」みたいに感じていて、フィルムやレンズを交換して楽しむように、いまデジカメを持ち替えてはその違いを楽しんでいる。
ミジョンさん(Twitterでつながってるフィルム写真家さん)が言ってたのかな。「シャッターを切った瞬間に写真の仕上がりが脳に記憶されるから、現像しなくてもいいくらい」みたいなニュアンスのことを以前ツイートされてたけど、僕も最近少しそんなところがあって、シャッターを切る瞬間に脳内で「そのレンズとセンサーが織り成す写真」を想像しながら撮ってる意識がとても強いんだよね。露出もハマって、光と影もピタッとすくい取れた時はほんとうれしい。シャッターを切るというのは、本当にその場を切り取るんだよね、その場にいた目撃者としてね。
こんなだから、芸術的な写真なんか一枚もないわけだけど、本人としては十分すぎるくらい満足してるわけでね。シャッターを切ることが、ほんとに人生の推進エンジンみたいになっている。ありがたいとことだなあと。カメラに出会えたことで、趣味とかいうレベルを超えていろんなものを得ることができている。それなりにお金もかかるし、時間や手間暇も必要なんだけど、ものすごくお釣りがくるくらい僕はカメラを楽しむことができている。平凡なアマチュア写真愛好家だけど、カメラは平等に歓びを提供してくれるんだよね、それぞれの人のそれぞれの時間にね。すごいよね。