赤城耕一さんの新しい本「フィルムカメラ放蕩紀」はやっぱりおもしろい。何十ものコラムが一冊になっていて、それぞれフィルムカメラの機種ごとに書かれているから、どのページから読んでもそれぞれ読み切り的に楽しめる。
そうすると当然、まずはじぶんも所有しているカメラの章が気になってそこから読むわけだけど、ついさっきは「Nikon F」の章を読んでいた。現代のフィルムカメラファンにとってみれば、Nikon FとはニコンFマウントの始まりであり、レンジファインダーのライカに対抗して作られた日本の一眼レフとして伝説のカメラ的に扱いがちだけど、赤城さんの本を読んでいると、タフなカメラとしてもっとガシガシ、クタクタになるまで使い倒してやらないとと思う。
僕のNikon Fは後期型のブラックペイントで、購入した時は驚くほど使用感がなく、フィルム室には新品時に付く透明フィルムが被せられていたような個体なんだけど、だからといって鑑賞用とかコレクションにはしていない。むしろ、僕が傷をつけてやるなんて思いながら使っているんだけど、まあまだまだ使う頻度が少ないんだろうね、ちょっと綺麗すぎてFらしくない笑。
それには思い当たる節もあって、僕が最も気に入っているカメラがFの後に出たF2であり、機械式カメラを持ち出そうとする時、どうしてもF2の出番が増えるのである。たしかにF2はFのあらゆる箇所をリファインした恐らく世界最高峰の機械式カメラだから、使い勝手も信頼性も抜群なわけだけど、Fの緩さ(あくまでF2と比べて)も悪くない。というか人間らしい。
人間は完璧じゃないから、誰しもどこか脆さもある。当時は最新鋭の精密機械のFだったと思うけど、いまはもう少し肩肘張らず使える実に人間らしいカメラである。であれば人間らしく、体にシワやアザができるように、このFにももう少し、いやもっともっとあちこちに年輪を刻みたい。赤城さんの本を読みながら、そんなことを考えていた。とりあえず、後で空シャッターを切るとしよう。人間らしいフィーリングを確かめながら。