Leica M3

日曜日の朝は、サイレント・ライカM3と。

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Leica M3, Elmar M 50/3.5, 撮影GRD3

別に頑なにそう決めているわけではないが、気がつくと日曜日はライカM3を持ち出していることが多い。僕にとってM3はストリート用のカメラであるが、休日の郊外の散歩に持ち出したくなるのは、そのまぶしいほどの美しいファインダーと、風や鳥の鳴き声を一切遮らない静かなシャッター音にあるだろう。

いや、正確にいうとM3以外のM型フィルムライカは所有したことがないから、M3だけがそうかはわからない。けれど、僕はM型ライカはこのM3が最初だったから、なんというかそのオーバークオリティといえる超精密機械のような造りの凄さに触れてしまったから、他のM型ライカを欲しいとは思わない。これはありがたい現象だと思ってる。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, 撮影GRD3

レンズはいろいろ試したけど、結局このエルマーに落ち着いた。それもおそらくライカとは静かに撮りたいと思ったことが大きい。シンプルに、素のままにスライス・オブ・ライフを撮るための道具としてライカを位置付けたのだろう。そして、それは一眼レフも愛する僕にとって、いい棲み分けだったのではと思う。

少し前まではM型のデジタルLeica M-P(typ240)も使っていたんだけど、いくつかのライツのレンズたちと一緒に手放したんで、いまはM型ライカはこのM3だけ。デジタルのライカはあればあったで楽しいかつ便利なんだけど、僕にとってライカとはM3のことという思いが濃いし、故障や数年での買い替えサイクルがなんとなくカメラとの向き合いとしてピンとこなくて、結局「ライカで撮ることは、M3とエルマー で撮ること」に落ち着いた。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, 撮影GRD3

Leica M3とElmar50、これが僕にとっての「ライカ」。バルナック型のLeica IIIaも二台所有してるけど、そっちは僕にとってはもっとアクティブで冒険的な道具としてのライカ。ただ、レンズはIIIaのほうもスクリューマウントのエルマーが装着されてるんで、どうやら僕の中のライカとはエルマーな描写のライカ、という解釈に至ったんだろうと思う。

こうして1955年の登場から、何人かの手を介して今も変わらず実用品として使い続けられているLeica M3だけど、ひとつだけ気がかりがあるとすれば、それはフィルムがいつまで使い続けられるかということ。2000年を前後して世の中はフィルムからデジタルへと大変換を遂げたけど、まだ奇跡的に使うことが可能な状態。けれど、日増しにフィルムの終焉もカウントダウンを感じる。

もしも、フィルムがこの世から消えるか、もしくはちょっと一般人の趣味として投資できる金額帯を超えるような日が来れば、僕はライカをやめるという選択肢になるのかもしれない。まあ、心のどこかでライカ社がフィルムを残し続けてくれるんじゃないかという確証のない期待もあるんだけど、こればかりは誰にもわからない。けれど、人生を豊かにする道具としていつまでも「日曜日の朝の静かなライカ」として残ってほしいと願っている。

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