RICOH GRD3

日々とカメラと文章と。

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RICOH GRD3, GR Lens 6.0/1.9

それにしてもみんな写真上手いなあと。TwitterとかInstagramとか見てると、決してプロではない写真愛好家と呼ばれる人たちが、とんでもなくキュンとするような写真をポストしていて、いやあ日本のクリエイティブシーンはなかなかなもんだぞとあらためて感心したりする。

それからすると、もう僕が撮ってる写真なんてのは恥ずかしいかぎりなんだけど、まあ本人としては写真の上手さはどこか諦めていて、でもひたすらカメラを触ったりシャッター切ることは大好きなんで、こういう生き方もまあいいんじゃないだろうか、なんてじぶん的理屈を設けて、それなりの人生を謳歌していたりする。

そんなちょっとイケていない僕の写真技術なんだけど、それを補うというわけではないけど、僕には「文章がある」とも思っていて、こうして懲りずに日々ブログを書いていたりする。いや、この文章だって、世の中にはもっと饒舌な言葉と唸るような構成力で「これが文才というやつか」とじぶんの不甲斐なさを思い知らされる優秀な書き手たちがいっぱいいるわけだけど、だったら僕には「カメラ+文章」があるんじゃないかと、変に納得したり(させたり、か)笑。

けれど、にんげん、ひとつくらいは「あの人といえば、これ」みたいなことがあるわけで、僕は今のところ「日々とカメラと文章と」というのが、この「記憶カメラというブログを書いていること」がアイデンディティだったりするわけである。

そもそも、写真とかカメラとか非常にエモーショナルなモノ・コトを文章で綴るというのは理に適ってるのか?という疑問は無くはないけど笑、スペックを書き連ねるならともかく、こうしてカメラのある日常の気分みたいなものを文章にするのは意外とむずかしいとも思っていて、そういう意味ではこのブログはなかなか文章の訓練にもなるのである。

文章を訓練した先に何があるわけじゃないんだけど、でも一つくらいね、継続して積み重ねているものがあるというのは、些細だけど少しじぶんの自信みたいなものになってる気もするし、バカみたいに記事数だけはあるもんだから、日々いろんな言葉を検索してこのブログ「記憶カメラ」にたどり着いてくれる人もいて、それもまた日々の僕の励みになっていたり。

誇るようなものは何一つない人生なんだけど、こうしてカメラとかブログに出会えたことは、密かにありがたみと歓びを感じている。欲を言えば、もう少し若い頃にカメラもブログも出会っておけば、少しは向上心なるものを高められたかなと思わなくもないけど、まあこれも運命ということで、写真の上手い人、文章の上手い人などをちらりと意識しながら、刺激をジワジワと感じる人生にしていきたいなと考えている。もう遅いかなあ、でも遅いほうが挽回のしがいもあるからね。