写真とは

写真という日常、カメラという趣味。

Leica M3 & Leica IIIa

Twitterを見てもInstagramを見ても、今日も、そしてたぶん明日も、来る日も来る日も毎日膨大な量の写真が撮られ続けている。だから、カメラ業界の苦戦が囁かれる中でも、どこか心の中で「これだけ写真が撮られてるんだから、何かきっかけがあれは、また再びみんながカメラを持つ日がやってくるんじゃないか」とポジティブに考えるじぶんがいたわけだけど、世の中はそうは単純じゃない。

写真を撮ることと、カメラを持つことはイコールではない。何をもって写真というかはあるけど、写真そのものは人類史上最もたくさん撮られ、公開されている。スマホカメラというプロダクトを通じて。

実際、スマホカメラは便利だもんね。撮った写真を誰かに公開するとしたら、今ならスマホから画像としてシェアするわけだから、スマホカメラで撮ってそのままSNSや知人友人へシェアしたほうが速い。速いというか、それはあくまで単体カメラで撮った写真データをわざわざスマホへ移してそこからシェアするよりは速いという意味で、スマホカメラで撮ってそのままシェアする人からすればそれが普通だ。単体カメラで撮ることのほうが普通じゃないのだろう。

この普通をひっくり返すことは容易じゃない。しかもスマホカメラの性能は日進月歩で高度化していて、いまSNSなんかで機材クレジット無しの写真を見せられたら、それがスマホカメラか単体カメラで撮られたものかを識別するのはむずかしい。しかもスマホカメラで撮ろうが単体カメラで撮ろうが、いまはデジタル上でいかようにもレタッチできるからね。

だとしたら、単体カメラの生き残る道は、その「撮るプロセスの楽しさ」であり「カメラという道具の楽しさ」に寄っていくしかない。プロの写真家の人なら高度な機能のカメラを持つに値するけど、ここでいうのは普通の人の普通の日常の話。普通の人たちが単体カメラを手にする理由は、プロの人たちのそれとは違う。「カメラのある日常が楽しいかどうか」だ。

けれど、肝心のカメラメーカーも、カメラ関連雑誌なんかも、その「カメラのある日常がどんなに楽しいものか」という事例や提案はしてくれない。してくれないというと言い過ぎかもしれないけど、あいかわらずあまり必要性の乏しい高性能機能ばかり推してくる。そのついで程度に「カメラという趣味」のことがわずかに述べられている程度。これじゃ、売れないだろうね、カメラは。普通の多くの人にとっては、関係のないことばかり語られてるわけだから。

一方で、Twitterの中なんかでは、きょうも「カメラという趣味を愛する人々」や「単体カメラを道具として、写真を紡ぎ出す楽しさを謳歌する人々」、「何気ない日常の中のユニークな視点を楽しむ人々」が、写真を見せあったり、語り合ったり、教えあったりしている。こっちのほうが、ずいぶんカメラ文化に貢献してるんじゃないかとさえ思う。少なくともカメラメーカーやカメラ雑誌なんかが説いていることよりも、あえてカメラを持ちたいと思わせるチカラがある。

それがカメラ業界の役割であり、それがSNSの役割であり、そうやって棲み分けられてるのが世の中なんだというならそれも仕方ないけど、それだとどんどんカメラ業界がシュリンクしていく絵しか思い浮かばない。まあ、世界の片隅のただのカメラ好きの人間の発言なんで、これは問題提起なんてものでもないし、なにか答えにつながるような話でもない。けれど、何かが足らないと思うのは僕だけだろうか。カメラはそれでいいのだろうか。

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