カメラへの思い

ちゃんと撮らないカメラの楽しみ方。

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Rollei 35, Leica M3

まあ「ちゃんと撮らない」とか書くと、ちゃんと写真をやってる人には、ちゃんとやれと怒られそうだけど、あくまで僕の感覚の話なのであしからず。

よく「写真を始めた初期の頃のほうが、いい写真が撮れていた気がする」というようなニュアンスを耳にすることがある。実際、僕自身も思い当たるフシがあるから、耳に残る言葉なのかもしれない。

写真やカメラを始めて日が経つと、当然、もうちょっと上手くなろうといろいろ考える。機材のクオリティやバリエーション、露出やシチュエーションなど要素はいろいろだが、個人的にはいちばんは「構図」だろうと思う。

Leica M3, Elmar M 50/3.5

しかも、この構図というのを、どこか「ちゃんとしよう」と無意識に考えてしまうようになる。あの四角形のなかにどう配置すると美しいかとか、いや正確に言うと「上手い写真に見えるか」みたいな笑。

しかも、それはオリジナリティというよりは、写真本のレイアウトの知識とか、これまで見てきた写真家さんの写真などに影響されて、どこかで見たことあるような構図ばかりを無意識に追いかけてしまう。そうやって撮れた写真は、どこか窮屈で作為的なのである。

あ、僕の話だから、軽く受け流してもらえればと思う。

Rollei35

ここから脱出するのはなかなかむずかしいが、方法があるとすればファインダーと曖昧に向き合うことかなとなんとなくは感じている。僕個人でいうなら、Leica M3のブライトフレームとか、Rollei 35の目測とか、バルナックライカのよく見えない小さなファインダーとか笑。

まあ、これらのファインダーは、ちゃんとのぞこうにもよく見えないし、見ようともしない。しかし、その四角の枠に囚われない感覚が、後から見る写真としてはとても自由でリアルに感じるのだ。これとて、写真をちゃんとやってる人からは怒られそうな感覚の話だけど。

いちばんは、ファインダーの曖昧さよりも、まずはどこへファインダーを向けるかだとは思うけどね。そもそも、どこにいて、どんな瞬間にカメラを向けるのかこそ、構図とかファインダーよりも尊い写真との向き合い方にしたいとは思うけど、まあこれは生き方、人生の過ごし方に通じる話だから、きょうのところは構図の話にしてる。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

写真を始めて数年も経つと、まあやっぱりいろんな「向上」を考えるわけだけど、それらが特に見えざる壁にぶち当たると、ついつい機材とかの向上とか気分転換の方向に目がいってしまうのだけど、本質はやっぱり写真そのものにあってね。

ある種、マンネリしてしまいがちなじぶんの写真をどう壊しながら新鮮さを追求していくのか。もしくは常に写真を始めた頃のあの感覚に立ち返るドキドキするエネルギーを維持するのか。若い人は、そういうところがピュアで、見ていて心を打たれる写真をたくさん撮ってるなあと感心する。

ひとは見たことのない写真を見たいのだ。

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