Leica M3

新しいカメラを買うより、愛機を修理・オーバーホールするほうが感動かも。

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革の張り替えが完了した愛機ライカM3

数週間前から「愛機ライカM3を革の張り替えに出していて、ちょっとさびしい」ということをブログやTwitterに書いてたんだけど、ついにその張り替えが完成したとお店から電話をもらい、昼休みに受け取りに行ってきた。

過去にもいくつかのカメラを修理に出して、そのカメラが手元に無い経験が何度かあるんだけど、今回思ったのは「M3に至っては、そのさびしさが尋常じゃなかった」ということ。強烈に僕はM3のあのフィーリングが好きなんだということを再認識したんだよね。

手放して分かる、その愛機の大切さ、という感覚かな。なによりそれが今回の気づきというか収穫だった。

革の張り替えが完了した愛機ライカM3

で、待ち焦がれた恋人が戻ってきたような感慨深さのあったM3との再会だったんだけど、これほんと、言いようのない感動があったなあ。

グッタペルカの一部が剥がれて、どこか少しくたびれて見えてたM3だったんだけど、修理職人さんの手で革を張り替えられて戻ってきたM3は、とにかくすべてがピカピカで、それは決して大袈裟ではなく新品のカメラを手に入れた時のような高揚感があったというか、いや、それ以上の感激があったんだよね。あの新しいカメラを買った時のワクワクする感じが何割り増しかになった感じ、といえば伝わるだろうか。

革の張り替えが完了した愛機ライカM3

僕はじぶんで綺麗に革を張り替える自信がなかったから、馴染みのお店に相談して、結果、修理職人さんに張り替えを頼むに至ったんだけど、やはりプロに頼んでよかったというか、その仕上がりの美しさ具合にはちょっと感動してしまった。

修理職人の方というのはやはりカメラ愛が尋常じゃないというか、革の張り替えを頼んだだけなんだけど、納品書には背フタの蝶番の調整と、遮光部品も経年劣化していたので交換しておきましたとの文面が。そう、気を利かせてリクエストにない部分まで修理を施してくれていたのである。これには、予期せぬ出来事というか、その厚意にフツフツと感激するじぶんがいた。

革の張り替えが完了した愛機ライカM3

もちろん、修理の値段は当初の見積もり通りだったんで、これらのプラスαのメンテナンスはサービスで行ってくれたのである。同じカメラを愛する人間として、そういう気遣いには、ほんとリスペクトというか、決して高価な修理代じゃなかったのに、ほんと頭が下がる思いだった。

革の張り替えが完了した愛機ライカM3

で、思ったのが、タイトルに書いた通り「新しいカメラを買うより、意外と愛機を修理・メンテナンスに出すほうが感動は遥かに大きいかも」ということなんだよね。

いや、新しいカメラを購入するあのワクワク感も相当格別だけど、新品のカメラはその時点で愛着があるというモノではない。けれど、何年も使ってきた愛機と呼べるカメラというのはやはり思い入れが想像以上にあって、そんな愛機がピカピカにリフレッシュされた様子というのは、なんとも言えないハートに来るものがあるんだよね。そりゃそうだよね、なんといっても「愛」機だから。

革の張り替えが完了した愛機ライカM3

そう、今回僕が書きたかったのはそれで、新しいカメラをポンポンと買うよりも、いま所有している愛機を修理したりオーバーホールに出していったほうが、いろんな意味で有益かも、ということ。

そうすることで、修理職人さんたちの仕事も増えるし、それは僕らのようなクラシックなカメラを愛する者たちにとっては、メンテナンスしてくれる職人さんたちの存続にも繋がるし、それは結果、僕らフィルムカメラユーザーがこれから先もずっと安心して愛機を使い続けられることにつながる。じぶんも、そしてクラシックカメラ業界もハッピーとなれば、それがいちばん最高なんじゃないかと。

というわけで、僕は何週間かぶりにライカM3の空シャッターを切っているわけだけど、もうほんと今、うっとりしている笑。まぶしい最高峰のファインダー、まるで生き物のようなニュルリとした巻き上げレバー、そして心を持ってかれる元祖サイレントシャッター、もうどれをとっても最高である。この感触との再会を待ち焦がれていた僕は今、恐ろしく感激の中にいるのである。

結局、ライカM3のことについて書いてみる。 きのう、バルナックライカのことについてブログを書こうと思い、その比較対象としてM3のことから書き始めたんだけど、Twitterに...