いま、フィルムは驚くほど値段が高い。久しぶりはフィルムで撮ろうかと値段を調べて、あまりの高価さに驚愕する人もけっこう見かける。そういう僕も、以前のようにはフィルムを大人買いできなくなった。
でも、フィルムをやめようとか、そんな決心みたいなものをする感じではない。無理しない程度に、たまにフィルムを詰めて、たまにあの時間を過ごせれば人生としては豊かだなと。
以前はフィルムカメラがメイン機でデジカメがサブ機のような割合だったけど、いまはそれが逆転した。けれど、デジカメで撮ることが妥協案というわけでもない。デジカメでも写真機らしさを味わえるカメラ、撮影スタイルなんかをじぶんなりに見出して、実はけっこう楽しく写真ライフを送れている。
要は、気持ち次第だし、デジカメでもフィルムでも両方使える時代に奇跡的に生きてるのだから、両方のいいところを自然と楽しめばいいかなと、いまはゆるりとした気持ちでカメラと向き合えている。
デジカメが本格的にミラーレス化して高性能の塊みたいになる一方で、趣味のカメラとしての味わいとかシンプルさ、クラシックな雰囲気なんかに今一度、世の中の関心が向かってるんじゃないかという感覚もどこかある。
毎日これだけデジタルデバイスの複雑怪奇な波を浴びていたら、趣味の時くらいアナログな感覚に浸りたいと体が自然に望むのだろうし、実際、それは懐古主義とかではなく人間の本能として目覚めるところがあるんじゃないかな。
そんな時々の脳や体のチューニングに、フィルムカメラはとてもいい。フィルム予算や現像予算に無理することなく、なんか頭と体がアナログな時間を求めたら、カチャカチャとフィルムを詰めて、デジカメは持たずフィルムカメラだけ持って外へ出る。
その場で撮った写真をいちいち確かめようもないから、頭の中に「こんな風に撮れただろうな」と記憶して(まさに記憶カメラだな)、次々とリズムよくシャッターを切っていく。そして後日、ご褒美のように現像あがりの写真を受け取る。楽しむ期間が増えるようで、なんともよく作られたサイクルである。
僕も毎日フィルムで撮っていたら間違いなく破産するんで、デジカメ時々フィルムカメラという生活を、時々じぶんを癒すくらいの気持ちで楽しんでいる。まあ、為替が落ち着いてフィルム価格がもう少し以前のように(せめて一本千円以内に)なってくれればなおいいが、そう上手くはいかないことも念頭に入れてフィルムと付き合っていこうと思っている。
最近は僕のそんな様子も馴染みの中古カメラ屋さんは分かっていて、もうフィルムカメラはあまり勧めてこなくて、オールドデジカメでおもしろいものが入荷した時に連絡をくれたりする笑。たしかにフィルムカメラはもう増やさなくていいかな。でも減らすこともない気がする。
これまで使ってきたフィルムカメラの軌跡があって、いまの僕のデジカメの楽しみ方があるんで、そういう意味ではフィルムカメラは人生の記憶カメラ。けっこう台数があるんですべてのカメラにフィルムを詰めてローテーションし切れるかという問題はあるんだけど、気長にのんびりと付き合っていきたいと考えている。
そうそう、最後に、以前もブログに書いたことがあるけど、ライカがある限りフィルムは終わらないと思ってる。ライカはフィルムは作っていないけど、ライカ社がフィルムとルーツであるフィルムライカに対するリスペクトは恐ろしく大きく感じるから、ライカ社がフィルムを終わらせないと思う。
根拠はない、直感であり妄想。けれど、フィルムはそう簡単に無くなるものではないと思ってる。価格は想像がつかないけど。
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