いや、これは悲観的な意味合いというよりは、むしろ逆で、フィルムとフィルムカメラは一過性のブームなんかじゃなくて、今後、本当に必要なものとしてもっとニーズが増えて、確固たるジャンルとして多くの人々の中に「定着」するんじゃないかと思ったりしてるという意味なんだ。
というのも、僕はきょう、ふと写真のように部屋にあるフィルムストックを整理していて、なんとも言えない感覚として「あ、フィルムがあるっていいな、心落ち着くな」と思ったんだよね。いまはなかなかフィルムの現像もままならないからフィルムで撮ることはお休み中で、つまりフィルムをカメラに装填したわけじゃないんだけど、こうして部屋の中にフィルムがあって、フィルムと暮らしてるって感覚がすごく癒されるし、心穏やかになるなと感じたんだ、無性にね。
世の中がどこか「発展」ということに夢中になり過ぎて、その無理がたたってというか、いろんなところがきしみ始めてるような感覚がある。長い地球の歴史の中でこんなにも短時間に無理して発展したことはきっと過去になくて、そのせいでこの星は悲鳴をあげてるんじゃないかと。そんな、なんだか「行き過ぎたハイテク時代」にあって、この「フィルムというアナログ機械」は妙に心落ち着くんだ。見た目も、手触りも、匂いも、すべてがね。
だから、たしかに数年前からフィルムはブームだったかもしれないけど、いま、そしてこれからは一過性のブームや、一部の愛好家のための嗜好品というジャンルというよりも、もっと世の中の多くの人のための癒しであり、文化になるんじゃないかと、ちょっと心がザワザワとする感じが僕にはあるんだ。考え過ぎかな、いや、でも単にフィルム好きの男の妄想とかじゃなくて、もっとリアルな感触が僕にはあるんだ。どうだろう。
昔、フィルムカメラの時代に育った人たちは「思い出に帰る」という感覚になるんだろうし、かつてのフィルム時代を知らない若い世代の人たちにとっては、海へ行ったりするのと同じように、心を開放的にしてくれるモノ・コトとしての「フィルム」というありよう。フィルムにふれるあのなんとも風合いのある感じとか、フィルムだから撮れるあの光をすくいとるようなアナログな美しさを、自然と生活の一部として取り入れようとする時代が来るんじゃないかと思うようになったんだ。
2020年は人類にとって試練の年となるけど、それは同時にもしかしたら「本当にたいせつなものを再認識して、この星の美しさを本質的に再構築する」、そんな大きなターニングポイントになるような気がしてならない。数ヶ月前なら馬鹿げたことを言ってると思われたかもしれないけど、いまは決して大袈裟なことではなくなったかもしれない。そう、変わるべきものがあれば、変えてはならないものもあるという、とてもあたりまえのことを見つめ直す場所に、いま僕らは立ってるんだ。