カメラへの思い

気のせいか。カメラを持つ人が増えている気がする。

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OM System OM-3, SG-image 35mm f0.95

これは完全に個人の主観なんだけど、最近、写真を撮るために専用のカメラを手に入れている人がポツリポツリと増えている気がするんだけど、あなたの感覚はどうだろう。

ここで言う人たちとは、これまではおそらくスマホカメラで写真を撮っていた人たちで、それぞれいろんな理由があるにせよ、「よし、じぶんの(人生)ためにカメラを買おう」と考えた人たちのことだ。

それはカメラ屋をのぞいてる時もそういう人と店員さんのやりとりを見かけるし、SNSなんかをぼんやり見ていても、ふむふむ、なにやらこの人はカメラを手にすることを決意したんだなというポストを以前より頻度高く見かけたり。

FUJIFILM X-E5, XF 35mm f1.4 R

まあ、SNSなんかはリコメンドのせいもあると思うから、たまたま僕が見かける場所にそういう人たちが多いのかもだけど、個人的にはなんかほっこりしてうれしくてね。

かといって、カメラを手にする人たちがこぞって作品と呼ぶような写真を撮ろうとしているわけではなく、ただただ日常の一コマをカメラで撮ろうとしている。そこがまた、いいなと思ったりする。カメラがじぶんのライフスタイルに同化する感じというかね。

本を読んだり、音楽を聴くのと同じような気軽な感覚で、シャッターを切っている。僕もいつも思うんだけど、生活している中でなぜかその一瞬にシャッターを切ろうと思ったのには、そこに何かあるんだよね、その人なりに感じたものが。そのシャッターを切るのと切らないのとの境界線みたいなものもとても興味深い。

Nikon ZR, 7Artisans 35mm f1.4 III

ちょっとクリエイティブなスイッチが入る感覚なんだろうね。そのシチュエーションであったり、光の差し込み方だったり、色だったり。目の前の何かに咄嗟に反応して、しぶんの中のスリーピング状態になっていたクリエイティブマインドが目を覚ます。

そうやって、シャッターをいま切りたいというスイッチが入る。この感覚はやはり、スマホカメラとは異なる何かだと思う。

いや、僕もスマホカメラでも写真を撮るから、写真を撮る行為を「専用カメラだけがそう」とは考えていないんだけど、それなりに出費をしてまで専用カメラを持とうとする気持ちはなにかとても尊いものが心の中に宿っている気はする。

PENTAX K-1 Mark II

あたりまえだけど、この世にその製品を求めるニーズがなければ、その製品を取り巻く界隈の市場はやがてシュリンクしていく。カメラで写真を撮ることをこよなく愛するじぶんとしては、カメラが人々から選ばれ、結果としてカメラ市場が賑わうことはとても喜ばしいこと。

フィルムだってね、デジカメへと市場がシフトしていく中で、いつ無くなってもおかしくないと言われながら、結果的に15年ほど経過してもまだ無くならない。そこにはかつてほどの需要は無いにしても、確実にニーズが存在するんだよね。その様子は、決して大きくはないにても「希望」を感じる。

FUJIFILM X-T5, Nokton 23mm f1.2 SC

そう考えると、形は違えど「希望」みたいなことをじぶんの人生の中に注入したい人が、カメラを手にしているのかもしれないね。一見小さな決心に見えるけど、実はけっこう大きな生き方としての決意。

カメラは写真を撮る道具だけど、希望のスイッチみたいなものでもあるかもしれない。カメラを手にすることで得られるものは単に写真だけではないのである。

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