Leica M3

ライカM3とは、やはり何かが宿ってるんだ。

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Leica M3, Summicron 50/2 1st

昨夜、読みかけだった小説「少女ライカ」を夜中まで没頭するように読んだ。喜多嶋隆さんの書いた、なんというか昭和のバブル世界を過ごした僕らには、とても心地よいリズムで読める喜多嶋さん節のストーリーだ。

主人公は「来る夏」と書いて「ライカ」と読む、15歳の湘南・葉山に暮らす少女だ。この名前は想像通り、彼女の父親がカメラ好きで、かつてのじぶんの夢を託したライカと、同じように生まれてきた女の子に夢を託したことが重なって、そうした名前を授けることになったのであろう。

あらすじはここでは書かない。読んでほしいから。そう、ライカに興味がある人にはぜひこの本を手にとってほしいし、ライカなんて考えたこともないという人にも目を通してほしい。この小説には人間が描かれていて、そこにはライカ、しかもM3が必要だったんだ。最初の読み初めにはあまりライカ、いやカメラすらあまり出てこないんだけど、途中からM3が話の中に出てきてから、本当にいつの間にかライカと来夏がダブってくる。そこには人間がいるんだ。

僕のライカも、この小説の中に出てくるM3だ。現行のライカのメイン機といっていいM型デジタルの原型であり、その意味では初代機といえるのがLeica M3だ。プロダクトというのは、年月を重ね、後継機が出るたびに改良が加えられ高品質なモノへとなっていくものだけど、このM型ライカだけは違う。この1954年という遥か昔に登場したM3こそが、いまだ持って最高品質なのである。

え、そんなことあるのか?そんなレトロなカメラがその後の改良機や現行のハイテク機と比べて最高なんて、ちょっと歴史的ストーリーに酔ってないか?と言われそうだけど、これは事実だ。少なくとも僕にとってはそうとしか言いようがない。手に持った感触、フィルムを巻き上げるニュルリとした手ごたえ、この世のものと思えない光まぶしファインダー、そしてかすかな音しかしない絶品のシャッターフィール、どれをとっても恐ろしいくらいの高次元のバランスで構築された超精密機械だ。おそらく、やられない人のほうが少ないと思う。

ただし、今どき、写真を撮ることはほぼカメラがオートでやってくれる中にあって、このM3というライカは何ひとつカメラが自動でやってくれることはない。すべて撮り手がそのシチュエーションにあったカメラセッティングをじぶんの経験を頼りに手動でやるしかない。そんなものに心惹かれるのか?…そんなものだからこそ心惹かれ、一度手にした者を魅了して止まないのである。

そこには、人が介在している。激しいくらい、撮り手という人間、写される人間、カメラを開発した人間、修理する人間、フィルムを現像して焼いてくれる人間。とにかく人間がいてライカM3がいるんだ。そういうことが、この本にはあらためて書かれている。かといってライカのマニュアルやヒストリーブックではない。一人の少女が湘南という場所でなにげない日常を送りながらも、ライカとの出会いがその行先をわずかに変えていく、ある意味特別ではないどこにでもある人生だ。そこがいい。ぜひ読んでみてほしい。僕は続編「ライカに願いを」へと頁を進めようと思っている。

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