写真とは

写真雑誌「日本カメラ」休刊の知らせについて思うこと。

僕の愛機、Nikon F2 アイレベル

このテーマについては、非常に残念と思う一方で、なかなか思いは複雑だ。というのも、僕自身も「日本カメラ」を常に買っていたわけではなく、たまにしか買ってこなかった人間のひとりだからである。

それはアサヒカメラの休刊の時にも感じた。休刊を悲しむのは簡単だけど、それはなんかちょっと違うと思い、慌てるかのようにアサヒカメラを買い、もうこんな雑誌の休刊があってはならないと日本カメラも買ってはみたけど、継続的な購読には至らなかったのである。

僕がカメラで写真を撮るようになったのは歳をとってからここ数年なので、古くから写真雑誌を読み続けていた人たちとは境遇が異なる。だから、長年の思い入れや親しみから読んでいる状況とは違う。そうやって、真っ新な気持ちで今の写真雑誌と向き合った時に、僕はカメラや写真にはハマっても、いまの写真雑誌たちにはハマらなかった。それが偽らざる僕の心境でもあった。

実際のところ、どうなんだろう。この事実上の廃刊ともいえる日本カメラの休刊、それはこの雑誌が売れないということを意味するわけだけど、それがカメラ業界全体の衰退のせいではあると思うけど、こと写真ということでいえばSNS上にアップされる写真の量でいえば、かつてない空前の写真時代とも言えなくもないし、フィルムカメラに至ってはフィルム価格の高騰があるのにあいかわらずフィルムブームは見てとれる。じゃあ、なぜ写真雑誌は売れないのかと。やはり単純に時代のせいとは言い切れない気がするんだよね。

僕は物事のマーケットとは、ハイレベルでマニアックな層よりも、ごくごく普通に良いと言ってくれる一般的ユーザーに支持されるかどうかにかかってると思ってる。それもできるだけ若い人たちに支持されることが何事にもおいても重要だ。誤解を恐れずに言えば、いまの写真雑誌がそれらの人たちの支持を得られていたかというと、これはなかなか怪しい。いや、そういう層に支持されたいんじゃなくて、かつての写真好きに愛され続けたいという路線ももちろん生き方としてあるけど、それならばそれらのハイアマチュアの人たちにもっと高く売れる写真雑誌をめざさないといけない。カメラでいえば、高くても一部のユーザーに熱烈に支持されるライカのようにね。そのポジショニング選びが、この問題が簡単じゃないという所以だと思う。

悲観的じゃなく語ろうとするなら、これはある意味ひとつの時代の終焉であり、この先に新しい写真雑誌のあり方が再定義されるとも言えると思うんだ。例えば、いまの若い人たちでフィルムカメラや写真そのものの魅力に取り憑かれている人たちがこぞって読んでくれる写真の雑誌のあり方の再定義ということ。僕個人は、そういうポジティブな方向に写真雑誌の世界が向かってくれることを願っている。

とはいえ、世の中はなんでも変えればいいというわけじゃない。変えないことが大事なことも山ほどある。アサヒカメラや日本カメラといった写真雑誌が積み重ねてきた「文化」というものは、なんらかの形で残していくべきだとも思う。それは紙の雑誌なのか、特集的ムック本でなのか、はたまた動画なのかは分からないけど、写真雑誌が無くなったからといって、その精神性まで無くしてはならないもの。そういう継承すべき意思が今後はどういう舞台で生き続けていくのか。そこに僕は注目したいし、そこにポジティブな時代の転換を期待していたりもする。

かつての写真雑誌が無くなっても、写真が無くなるわけではない。ピンチはチャンスだと本気で思ってるんだ。過去は大事にしつつ、未来も高いレベルで提示し、切り開く。そう、現代のライカ社のように、過去をリスペクトしつつ、とてもモダンで現代的な未来を僕らに投げかけてくれる写真雑誌のあり方を求めて。これは終わりじゃないのである、始まりなのである。

 

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