RICOH GR

RICOH GRを家に忘れた日は不安になる。何かこう、うまく空白を埋められないような。

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きょうは仕事で少し遠出をしたから、しかも少し懐かしい場所だったから、スナップを数枚撮っておこうと鞄の中のGRを取りだそうとしたところ、あれ?ない、いつものGRがいつもの鞄の中にない、と。理由すら覚えていないのだけど、どうやら何かしらの拍子に一眼レフらのカメラケースに一緒におさめてしまっていたらしい。平日はどんなことがあっても必ず鞄に入れて持ち歩いているGRがないというのは、なんというか下着をはき忘れた感じというか、シャツを後ろ前に着てしまった感じというか、とても居心地が悪くて、街中でポツンと一人取り残されたような寂しさに見舞われる。

僕が一眼レフを握れるのは週末だけだから、平日はいつもGRを持ち歩いて写真心をつなぎとめている。そのGRが、あるはずのGRがないと気づいた時の心境がこうも心細いものなのかということに、きょう初めて気がついた。なんだろう、別にiPhoneカメラがあれば記録としてのスナップは撮れちゃうわけだけど、僕の中の写真は記録というより記臆という感覚があって、だからどうしてもiPhoneは代役にはなれない。何よりカメラを始めてから、街中でカメラを構えるのは割と平気なんだけど、iPhoneを構えるのがなぜか苦手になった。なぜかなと思うんだけど、恥ずかしさがあるのかな。思うに、以前はiPhoneしか持ち歩いていなかったわけだけど、カメラを始めるようになって「写真はヨコイチ」という感覚が強くなって、そうすると街中でiPhoneをヨコイチで構えるのは何か変な体勢になるというか、じぶんの中で不自然な光景ということもあって、いつの間にかそうなった。

僕なんかはまだまだカメラビギナーで、スナップを撮りまくってる人たちと比べるとすべてにおいて半端なわけだけど、それでも一丁前にカメラは確実に体の一部というか生活の一部みたいになっていることに気がついて、はたと驚いた、そんな一日だった。そんなこともあって、きょうは特にスナップやられてる人たちの写真をいろいろ見てた。みんな上手いし、味あるなあなんて思いながら見てた。スナップとはやはり記録を撮ってるんじゃなくて、その人それぞれの脳に写る記臆を撮ってるからそういう味が滲みでるんだろうな、とか思いながら。さて、忘れないうちにGRをいつもの鞄に入れる。もう二度と街中で得体の知れない不安に苛まれないように。