フィルムカメラ

断捨離って気持ちいいな。日々使うカメラだけに絞り込んでスッキリした。

アフィリエイト広告を利用しています
Leica IIIa, Elmar 50/3.5

断捨離って気持ちいいな。日々使うカメラだけに絞り込んでスッキリした。

平成の最後にハッセルブラッドを、令和の初めにミノルタの機械式カメラを手に入れた頃から僕の中には少し思うところがあって、ここ一ヶ月間ほど所有機材の整理を考えていた。いわゆる断捨離というやつかな。で、ここ三日間くらいカメラ屋に手放すカメラたちを連日持ち込んで、きょう、さっきなんだけど、ついに断捨離が完了したのである。ひとまず感想として思うのは、断捨離ってこんなに気持ちがいいのかってこと笑。

さすがにちょっとカメラやレンズが増えすぎていたんだよね。何度か書いたことがあるように、僕は別にカメラをコレクションしていたわけじゃない。そのカメラやレンズをじぶんの手と目で確かめたいと本能に素直に従ってたら、いつのまにかカメラだけで30台ほどまで膨れ上がっていたんだよね。ここまでの数になると、さすがにすべてのカメラを満遍なく日々使うのはむずかしい。どうしても年に何度かしか持ち出せないカメラが出でくる。そして、何よりも一つのカメラとの時間が分散してしまって、どのカメラともなかなか濃密な時間が過ごせない。人生の時間はそれほど長くないのに、これはいかんなあとどこか思ってたんだよね。そんな時に時代が平成から令和へ変わった。僕のカメラとの向き合い方を変えるにも、いいタイミングだったかもしれない。

断捨離するにあたっては、けっこう脳内でシミュレーションを考えた。これまで数多くのカメラたちを確かめてきたおかげで、じぶんの中にカメラを比べられる目が少し養えたこともあり、今ならカメラやレンズを冷静に比較したうえで絞り込める選択眼みたいなものができてきたのも大きい。どのカメラたちも好きだけと、使い方が被る機材は思い切って限りなく一つに絞ろうと思った。それと、使った時のフィーリング、そして長く付き合うことなどを考えると、フィルムカメラはやっぱり機械式に絞ろうと考えた。カメラに優劣をつけたわけじゃないけど、そうやって僕の中に「じぶんのカメラのものさし」をつくって、大胆に所有台数を減らしてみたんだ。これは手に入れたばかりだろうとか、最初は躊躇したりもしたけど、いざ断捨離してみると、それはそれでスッキリしてよかったなと。残したカメラたちよことだけ、ブログに少し記憶として残しておきたいと思う。ちなみに残したカメラたちには「人生のカメラ」と名付けてみた。

人生のカメラ1「Leica IIIa 」

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

これはもう、絶対にはずせない一台。平日のスナップ用という用途がいちばんだけど、とにかくコンパクトで、かつフルマニュアルで操って撮る楽しみがあるから、万能性という意味では僕の所有カメラNo.1かもしれない。そして、なんといってもこの板金バルナックライカは35mmカメラの原点。現代のカメラの直系の祖先ということを考えると、やっぱり特別なカメラであることは間違いない。僕は数台のフィルムコンパクトを持っていたけど、コンパクトはこれ一台でいいんじゃないか?という思いが、今回の断捨離につながった大きなきっかけのひとつだったとも言える。それくらいバルナックライカエルマーの組合せというのは「これ一台あればあらゆるシーンは大丈夫」という優れモノ。1930年代に誕生したカメラの元祖が、未だに使いやすいカメラの筆頭であることには驚きを隠せない、本当に。

人生のカメラ2「Leica M3」

Leica M3, Summicron 50/2 1st

そんなバルナックより、もう少し落ち着いてじっくり厳かに撮りたい、というためのカメラがM3だ。バルナックライカの後を受け、1954年に発表されて、このあまりのクオリティの凄さに、世界にレンジファインダーへの追随を諦めさせたと言われるM3。現代に続くM型ライカの元祖であるM3が、未だに「M3を超えるライカはその後登場しきれていない」と言わしめるのも、またとんでもない凄いことである。あわせるメインのレンズはやはり初代ズミクロン。バルナックからとんでもなく進化したファインダーやフィルム送りレバーの感触、まさにサイレントシャッターであるあの物静かなフィーリングは、街中で、自然の中で、唯一無二の時間を提供してくれる。究極をいえばカメラはM3だけでもいい、それくらい非の打ち所のないカメラである。

人生のカメラ3「Konica C35」

Konica C35

フィルムコンパクトはバルナックライカ一台でいいんじゃないか、最初はそう思ったんだけど、このC35は最終的には手放せなかった。たぶん、僕のフィルム人生の中でいちばん多くシャッターを切ってきたであろう思い入れのありすぎるカメラ。そして何よりも、その固定レンズ「ヘキサノン」が写し出す世界は唯一無二の存在で、バルナックとは明らかに異なる世界の写真を味あわせてくれる。ほぼピントを合わせるだけのお気軽操作であることも、バルナックとは異なる。主に街撮り専用のカメラだけど、バルナックよりさらに俊敏に、そして気軽にスナップしたい時に、このC35に代わるカメラは、僕の中では他には存在しないのである。

人生のカメラ4「Nikon F」

Nikon F Black Paint

そして、僕にとってカメラとはやはり一眼レフなのである。もう一度、そのことに気づかせてくれたのが、この春に出会ったNikon Fのブラックペイントボディだ。このFはほぼ未使用といっていいような状態で僕の目の前に現れた。まさにハートを撃ち抜かれた。このカメラと人生を共にしたい、そう思わずにはいられない本能的な衝動に駆られたのである。くしくも今年は、Nikon F誕生60周年の記念すべき年。レンジファインダー機もたまらないけど、この一眼レフは、その存在感、そのダイナミックな操作感が、撮り手をソノ気にさせる。僕が初めて手にしたカメラはデジイチのNikon D5300だったんだけど、そのルーツのカメラへたどり着いた、その感激もまた、Fで撮る格別さなのである。

人生のカメラ5「OLYMPUS OM-1N」

OLYMPUS OM-1N, Zuiko 50/1.4

僕にとって一眼レフとはNikonのことだったんだけど、このOM-1に出会ってその思い込みは少し変わったかもしれない。それくらいお店でこのOM-1に触れた時には軽い衝撃を受けた。まず、そのコンパクトさ。手に持った時の小ぶりなホールド感は見た目からは想像がつかないくらい革新的だ。それもそのはずで、大きさは実は並べてみるとバルナックライカとほぼ同じなのである。大ぶりだった一眼レフをコンパクトなレンジファインダー機の大きさまでシェイプアップさせたその姿は、PENシリーズの開発者でもあった米谷さんを名を再び神格化させたことだろう。そして何より美しく、操作感にも品がある。これは工芸品としても僕は持ち続けておきたい一台なのである。

人生のカメラ6「Minolta SRT101」

Minolta SRT101, MC Rokkor 55/1.7

そして、機械式カメラに絞り込んだ一眼レフをもう一台、ミノルタSRT101である。このカメラは令和になってから購入したんで、まだ手に入れたばかりなんだけど、とにかく本能的に気に入ったのである。ブラックペイントボディと出会ったことも大きい。とにかくこのボディを前にすると、ヤンチャ心が騒ぎ出す。ある意味、Nikon FやOM-1よりも無骨で一眼レフらしいのである。レンズのロッコールの写りを気に入ったことも大きい。見た目、ちょいワル的な風貌なのに、撮れる写真は実に艶めかしく美しい。そのギャップにも惹かれるのである。僕が選んだ人生の一眼レフは、機械式のこの3台に収斂されたのである。

人生のカメラ7「Hasselblad 500M/C」

Hasselblad 500C/W

中判カメラも一台は持っておきたい。僕が残したのはハッセルだった。というか、このハッセルを手に入れようと考えたことが、カメラを少数精鋭に絞り込もうと思ったきっかけになったと言っていい。昔よりはずいぶん入手しやすい価格になったとはいえ、ハッセルを手に入れるというのはやはり僕の中では一大事だったし、これを手に入れる以上はカメラともっと強く向き合いたい、カメラ史を代表するカメラたちと向き合うことに時間を費やしてみようかと考えたのである。初めて試し撮りに持ち出してファインダーを眺めた時には驚いた。神々しいとさえ思った。中判撮影は35mmフィルムと比べるとやはり頻度は少なくなる。その限られた頻度で使うカメラは究極の一台だけでいいと思った。そして僕はハッセルを手元に残したのである。人生のカメラとして。

人生のカメラ8「RICOH GRIII 」

RICOH GR III

そして、デジカメである。デジカメは僕の中ではやっぱりどちらかといえば「フィルムカメラのサブカメラ」的存在。できればフィルムで撮りたいけど、コスト的にフィルムばかりで撮っていられないシーンや、夜の高感度で撮りたい時、失敗が許されないシーンなどに何台は所有しておきたい、そういう存在だ。そうして、僕がかねてから愛用しているのがRICOH GRだ。僕は実はGRのハードユーザーで、GRだけで一年過ごしたこともある。さすがに今はGRだけじゃ物足りない体質になってしまったけど笑、この春に「さらにコンパクト」になって登場したGRIIIとは、また長い付き合いになると思っている。まさに、これ一台あれば何だって撮れる。スナップを楽しむ僕のカメラ生活を、もう一度GRと濃密に過ごしたい、そう思ってコンデジはGRだけにした。

人生のカメラ9「Leica M-P typ240」

Leica M-P typ240

そう、僕がカメラを減らさなければ、と思った大きな理由の一つとして、このM-Pでもっと集中してスナップを撮りたいと思ったんだ。あれこれデジカメが増えてしまった、どうしても街へM-Pを持ち出す頻度が減っていた。でも、心の中でいちばんスナップを楽しみたいのは、やはりライカなのである。フィルムライカのIIIaかM3、そうでなければM型デジタルのM-Pで。街撮りスナップはまずそう考えたいというか、初心にかえるような気持ちがあった。GRで撮りたいと思ったのも、まさにこの初心かな。デジタルだけど、フィルムライカで撮ることの延長線上の感覚で撮れる唯一のカメラ、それが僕にとってのM型デジタル。M-Pはブラックペイントボディだから、いま少しずつ塗装がかすれ始めエイジングが進みつつある。年輪を一緒に刻みたい、それが僕にとってのM-Pなのである。平日のスナップを考えると、M-PとGRが最も頻度高く時間を共にするカメラとなるかもしれない。そして、そうありたいと考えている。

人生のカメラ10「Nikon Df」

Nikon Df

そして、やっぱりDfなのである。僕がカメラを始めたのもNikonなら、フィルムを始めたのもNikon。やはりNikonは僕の中で特別だし、フィルムニコンのレンズ オールドニッコールたちが使えるデジカメは、不変のFマウントをまさに具現化した、奇跡のカメラなのである。フィルムニコンFM系シリーズの面影をみせるそのヴィンテージ感あるスタイルも僕にはたまらないし、ブラックシップ機D4のセンサーを積むDfは、実は現代的な万能フルサイズ一眼レフでもある。しかも軽くコンパクト。フルメカニカルシャッター機で一眼レフ元祖のNikon Fと、時空を超えてこの世に再現された現行機Nikon Dfの共演。ミラーレスの時代と言われるけど、僕にとってはこれからもDfの時代が続くのである。一枚一枚をゆっくり撮る、あのフィルムニコンのような味わいある時間がね。

人生のカメラ11「Nikon D200」

Nikon D200

Dfのサブ機として残しておこうと考えたのが、NikonのCCDセンサー機、D200である。もう10年以上前の機種になるけど、当時のプロ機のサブ機的ポジションであったそのクオリティは現在でもまったく古さを感じさせない。それはちょっと驚愕的でもある。そして、何よりCCDの写りはやはりどこか独特の雰囲気を持っていて、現代のカメラでは再現できない世界に僕は無性に惹かれるのである。高感度に弱いことをのぞけば、日中の撮影では現代でも十分以上の性能を魅せる、まさにNikonの開発陣の意地が垣間見えるD200。Dfのサブ機とはいえ、けっこう出番はあると思って、人生のカメラの一台に加えた。

人生のカメラ12「Nikon FA」

Nikon FA, Ai-S 50/1.4

このカメラは「頂き物」なので、僕としては一生手放すということはない存在。フィルム一眼レフはすべて機械式にしたけど、この電子シャッターのFAがあることで、絞り優先で撮りたい時なんかもカバーできることもあり、人生のカメラとしてそういう一台もけっこう貴重な存在かなと。あの独特のシャッター音もまた魅力。ちょっと故障中で今は連れ出せたいないけど、近いうちに修理をして文字通り「使うカメラ」の一つとしてスタンバイさせておこうと考えている。

というわけで、これが僕なりに「日々、実際に使いまわせることをリアルにイメージして残したカメラたち」、すなわち人生のカメラたち。12台というのはまだまだ多いのかもしれないけど、この種類と数であれば僕のライフスタイルなら大体どれも頻度高く持ち出せるし、なにより愛着がさらに濃くなる気がした、僕の中ではジャストの数。レンズも極力減らしたから、あとはそう、もう撮るだけ。昔、ブログのタイトルに書いたけど「使わないとカメラじゃない」というのをカタチにした、僕なりのベストな断捨離を終えて。さて、僕の令和が始まる。

関連記事