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その街の日常を撮ろう。数十年後の誰かのために。

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まあ実際はそこまで高尚な志みたいなのを持って撮ってるわけじゃないんだけど、街を撮るってことはじぶんが気持ちいいだけじゃなくて、意外といろんな人たちのためにもなるんじゃないか、という思いがどこかある。

下のツイートは、僕のTwitterアカウントの固定ツイート。気がついたらかなりの数のいいなとリツイートをしてもらってるんだけど、それはやはりみんな、どこかそう思えるフシがあるということだと思うんだ。

実際に、僕もTwitterのタイムラインで数十年前の街並みをスナップした写真なんかが流れてくると、ドキッとしたり、じんわり物思いにふけったり、かなり感慨深い。写真ってやっぱり記録だから、その当時、誰かが写真に撮って残しておいてくれることで、今を生きる僕らが数十年前の当時に想いを巡らしたり、現代の街並みと比較なんかして、少しワクワクすることができると思うんだ。

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僕は、以前からスナップ写真の多くは福岡と東京で撮ってきたんだけど、ここ一年くらいはコロナの影響で東京には行けていない。全国どこへ出張や旅行に出かける時にも必ず何かしらのカメラは持っていってその街のスナップ写真を撮っていたんだけど、今はほぼ地元の福岡の街のみで撮っている。けれど、これがまた良いのかなとも思ってる。あらためてじぶんの生活する場所をつぶさに眺める感じ。これはやっぱりカメラがあるおかげなんだよね。

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カメラが無かったら、やはり素通りしちゃうと思う。あまりに普通の日常だからしょうがないわけだけど、でもたぶん、数十年後の人たちは当時の普通の日常が見たいんだよね。いまじぶんが暮らしてる街の日常の姿が当時と比べてどんな風に変わったのかっていう、そう、等身大の日常の写真がきっと見たい。その際たるモノが、家族の昔の日常の写真だったりするわけで、やっぱり写真というのは身近なモノであればあるほど、心に突き刺さる。僕はそう思ってる。

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ふつうの日常だから、何も気負ってどこかにわざわざ出かけて撮影しなくたっていい。いつもの日常の中で移動する道すがらなんかにシャッターを切れば「いま」が写る。それがカメラの凄いところ。スマホカメラでもいいけど、そこはやっぱりファインダーをのぞいてシャッターフィールを感じながら撮るほうが単純に楽しい。じぶんがまずしっかり満たされて、それでいて数十年後に誰かのための役に立つなんて、ちょっと素敵じゃないか街スナップって、と僕なんかは思うんだ。

ふだんの生活の重荷や邪魔にならないコンパクトなカメラを一台、常に鞄の中に忍ばせて過ごす毎日。ほんのささやかな事に思えるけど、これはいまを生きる目撃者であり記録者でもありえることなんだ、と思うとちょっとワクワクする。そういう気持ちで街撮りスナップするというのもアリなんじゃないかな。凄い歴史貢献だ。

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