写真とは

写真という趣味がなんとなく続けられている理由みたいなもの。

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Leica M8, Summicron 50/2 1st

きょうTwitterを眺めていて、ふと「そういえば、最近あの人の写真投稿が無いな。元気にしてるかな」とか思ったり。もしかしたら写真をやめたのかもしれないし、単にTwitterをやめて写真は撮り続けているかもしれない。

写真をやる人なら、Instagramのほうが合ってるのかもしれないし、そもそも昔から写真をやってる人は、SNSに写真投稿なんかせずにリアルな空間でむしろ濃密に写真活動をされているのかもしれない。

ちなみに僕の場合は、自己流とはいえもう何年もカメラで写真を撮る趣味は続いていて、それにはTwitterの存在がけっこう大きい。

というのも、まわりにカメラをやってる人がとにかくいなかったから、Twitterの中の写真クラスタの人たちのツイートと、馴染みとなったいくつかのカメラ屋の店員さんとのやりとりがカメラ知識の学びの場だったのだ。

写真を見るだけならInstagramがいいのだろうけど、機材の疑問とか、特にクラシックなカメラの知識なんかを得ようと思ったら、Twitterのほうが僕にはなにかと参考になるものが多かった。

あと、SNSとはいえ、撮った写真を投稿する場があるのはやっぱり大きいと思う。僕の場合は、写真を披露するほどの腕前は無いので、撮影機材名を入れて作例的に写真を投稿しているけど、それでもたまに参考にしてくれる人もいるようで、懲りずに毎日なにからしらの写真をポストしている。

そんなじぶんも、今度は同じ機材や気になる機材で撮った人たちの写真が気になるし、「あゝそんな撮り方もあるんだ」というような刺激ももらえる。ポートレート撮影をするわけでなく、本格的ネイチャー写真を撮るわけでもない僕のような日常スナップ愛好家には、こうしたアマチュア写真愛好家の人たちのSNSの写真たちは、けっこう「生きた教科書」なのだ。

あとは、カメラという道具が性に合っていたのも大きいかな。写真はもちろん好きなんだけど、シャッターを切る時のあの感触がとにかく好きで、それを味わいたくてカメラを持ち出しているところすらある。だから、けっこうな数のシャッターを切る。僕みたいなシャッター好きは、フィルムだけだと破産するんで、デジカメがあって時代的にも良かったのかもしれない。

写真というのは、正解が無いのも良かったかもと。とにかく「今日よりも明日はもっといい写真が撮りたい」と思うのが写真の常だと思っている。その妙なモチベーションが「あのレンズならもっと素晴らしく撮れるんじゃ無いか」とか「あのカメラがあればきっと僕だって」とかって浪費を生むのもまあ、あるのだけど笑。

人間は結局、正解よりも問いに惹かれる生き物なんだと思う。まだ見ぬ世界とか、また感じたことのないフィーリングを確かめたくて「次」へ行ける。写真にはそういう要素がある意味てんこ盛りだと思っていて、それが僕みたいな無趣味だった人間でも長く続けられている理由なんじゃないかと思ってる。

あなたが写真を続けられている理由はなんだろうか。考えてみると、写真は人類史上いまが最も撮られている時代のはずで、だとしたら写真をもっと楽しくするカメラにもまだまだ可能性があるんじゃないかとも思ったり。そんなことを考えながら、きょうもカメラで写真を撮ってはブログを書き続けている。

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