あくまで私見で妄想だけど、結論から言うと、まだ世の中に残って使われていると思う。それは、やはりフィルムとフィルムカメラでしか撮れない描写の世界があるから。
若い人たちがよくフィルム写真を表現するときに「エモい」って言うけど、その言葉の意味がどうかは置いておくとして、明らかに「デジカメでは得られない独特の世界がそこにはある」という価値を見出しているということだと思うんだよね。
それは若い人たちの感性の問題でもなくて、これだけスマホカメラやデジカメが便利な世の中で、まだまだフィルムとフィルムカメラで撮り続けるひとがたくさんいて、それを支えるフィルムも、中古カメラ店も、現像関係施設も、フィルムカメラ修理店もある。
正直、デジカメの時代が来た時にフィルムカメラがその後15年も20年も生き続けるなんて誰も想像しなかったんじゃないかと思うんだけど、実際はここまでしっかりと支持を受けていて、ある一定の支持がある以上、この世から消え去ることはないということを証明しているんだと思う。
だから、10年後もこの本能的価値観は変わらないと思うんだ。ただし、Twitterでフォロワーさんも言ってたけど、フィルムカメラも年々確実に程度のよい個体は減っていってる。電気を使わない機械式シャッターなら修理すればいつまでも使えるとよく言うけど、それだって機械である以上、いつかは寿命もくる。
最近、なんとなくフィルムカメラ価格が上昇してるように感じるのは、やはり世の中の「使えるフィルムカメラ」の母数が減ってるんだろうなと。そう考えると、10年後はフィルム代や現像代の高騰傾向の加速だけじゃなくて、フィルムカメラそのものもけっこうな高値になってるんじゃないかと思える。
仮にフィルムやフィルムカメラで撮りたいというひとがジワジワと増えてるとしたら、一方で買い求められるフィルムカメラの数が減ってるとしたら、これはやはりフィルムカメラの店頭価格も需要と供給の関係で跳ね上がるよね。悩ましいけど、これがマーケットというものだとも言える。
あと、みんな年齢を重ねるというのもある。つまり、フィルムカメラ業界の人たちも比較的高齢の方々が多いなか、みんな10年後も今のようなかたちでフィルムカメラ界を支えられているかどうかはなかなか分からない。でも、ここは若く新しいフィルムファンのひとたちが流入してきてくれるんじゃないかという期待もある。
なんか、とてもこんなブログのなかで答えが出るようなテーマじゃないんだけど、ひとつ思うのは、家族の中で子どもや孫へフィルムカメラを継承する感じはとてもいいなということ。Twitterなんかでも「おじいちゃんのフィルムカメラをもらった」なんて声をよく耳にする。それだと、若い人たちがフィルムカメラ代に苦心せず、しかもある程度大切に使われてきたカメラを手にすることができる。
うちの子なんかも、いまはまったくカメラに興味を示さないんだけど、いつか今よりフィルムカメラブーム(いや、ブームというより、フィルムカメラが普通になることかな)が盛り上がってる頃に、ふと「カメラが欲しいな。できればフィルムカメラが。」と思った時に、父親のカメラを譲ることができれば、それはほんと素晴らしいことだなと思ったりするんだ。
10年後。果たしてどんな世の中になってるだろうと思うけど、決して希望的観測ではなく、一般的に「カメラといえば、フィルムカメラのこと」になってるんじゃないかと思うんだけどな。一方、デジカメは動画を主体とした撮影機材に内包されていってる気がする。それを(スチール)カメラと呼ぶより、フィルムカメラのほうをカメラと呼ぶんじゃないかってね。
いやあ、また脈絡のないことを懲りずに数十行も書いてしまった。まあでも、10年は長いようでもあり、短いようでもあり、近未来を思い描くにはいい年数かもしれない。ゾッとするじぶんの年齢のことは置いといて、若い人たちの未来という意味で、フィルムカメラをの未来をこれからも考察していきたいと思う。できれば、フィルムで撮ることの楽しさを一人でも多くの人に伝えていきながら。