Nikon Df

カメラという趣味は、静かにメラメラと燃える感じがいい。

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Nikon Df, Ai AF 50/1.4D

カメラという趣味は、静かにメラメラと燃える感じがいい。

こうしてブログを書き続けていると、たまにコメント欄にメッセージをもらえるのがうれしかったりする。全然見ず知らずの人からなんたけど、そもそも僕のようなブログに検索からたどり着いてくれたような人なのでカメラ好きであることは分かるし、メッセージの書き始めからそのカメラ好きな熱量が感じとれる人ばかりだ。

Twitterでカメラ好きの人たちの声をのぞくのも楽しいんだけど、ブログ内コメント欄にもらう声はもっと内なる声というか、カメラ好きの人たちの飾らない本音のような気がして、それがまた小さな発見のようでうれしいし、ブログを書いていてよかったなあと思う瞬間である。

僕はカメラを始めるまでは、どちらかといえば趣味とはアクティブなものをイメージしていたかもしれない。例えばランニングとか、ロードバイクとか、キャンプのようなアウトドアとかね。もちろん、カメラだって本格的な人はスポーツばりに大自然と格闘するような撮影を敢行したり、ポートレート撮影でロケをしたりと十分すぎるくらいアクティブなわけだけど、カメラがいいのは静かにも楽しめるということ。

一人で夜から早朝にかけて撮影機材を静かに準備して、朝日が登る頃に一人撮影に出かける。散歩道なら辺りは誰もおらずひっそりとした静寂。車で出かけるならまるでじぶん専用道路のように目的地まで喧騒を忘れた道が続く。撮影する時も、誰に話しかけるわけでもなく、ただひたすらじぶんに露出合わせの内なる声をかける。

僕は三脚は使わないけど、誰もいない空間に三脚を立てる行為というのは、なんというかこれから始めるサイレントシューティングの初めの儀式のようでちょっと憧れるところがある。撮影ポイントが決まったら、辺りの光と影を眺める。ぱっと見では見過ごすような些細な光と影の交錯も、カメラを持っていると敏感に視界に入ってくるから不思議だ。

感度をあわせて、絞りを決めて、シャッタースピードダイヤルをカチカチと回す。ファインダーをのぞく。ピントをあわせる。たぶん、この時の僕は軽い呼吸困難な状態にあると思う。じぶんでも意識していないけど息を止めている時間が多いんだと思う。そうしてファインダーの中に焦点の合った光景が現れた時の心持ちは、たとえそれが散歩道であろうと僕には感動的だ。

とても静かな一連の行為なんだけど、そこはじぶんの内部ではとてもメラメラと燃立つものがある。それがカメラの素晴らしいところだと思う。趣味といえば非日常的だとか発散だとか、なにやら動的じゃないといけないみたいな思い込みが無くもない世の中だけど、こうして静かに、かつ実は内部は熱く燃えたぎるような思いが味わえるのは、けっこうカメラならではのことなのではないかなと思う。

そういう内なる熱い声を聞きたくて、こうしてブログを書き続けているところもある。人が人らしくいるために必要な、静かだけど一人メラメラと燃えることのできる時間。そういうカメラの魅力を微力ながら伝えられたらなと、きょうも静かに、でも内側では熱くブログを書いている。

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