
さっきのポストの続きみたいなところがあるけど。その手ごたえがありつつ絶妙な軽量コンパクトのカメラたちとなると、僕の場合レンジファインダー機が筆頭になってくる。その最たるカメラがLeica M3だったりするわけだけど、こうしたカメラたちを手に入れたり、もしくは今後手元に残していくカメラを考える時、ふと脳によぎるんだな。「ところで、フィルムはいつまでこの世に存在するんだろうか」と。
きょうもTwitterでAgfaのフィルムが最終販売というのを見かけたし、現にAcros100の再開に向けた再検討がなされているとアナウンスもあったとはいえ、国内唯一のフィルムメーカーも年々フィルム扱い品目を減らしていってる現実もある。もちろん、需要が大きく供給を上回るようであればフィルムはビジネス的に無くなることはないんだろうけど、世の流れからいえばデジタル化がますます進むことは否めない。このままいけば、フィルムが永遠にあるというのは考えづらいんだよね、やはり。
そうすると、フィルム機を人生永遠の友にするのはやはりむずかしいのか?とか、かといってデジタル機では何十年も使い続けるのはむずかしいぞ?とか、なかなか手元に残していくカメラ選びというのはむずかしかったりするわけである。僕だけかなあ、そんな風に思うのは。僕はどちらかといえば、これからはカメラを増やすというよりは、最後に残すカメラたちを絞り込んでいくプロセスに入ろうと思ってるんだけど、その時にこの「フィルムはいつまであるのか問題」みたいなものがふとよきるんだよなあ、いつも。
そんなことどうでもいいじゃん!いま楽しめることに集中すればいいだけ!とか言われそうだけど、なかなかそうも割り切れなくてね。だって、カメラは飾るものじゃなくて、使ってなんぼの道具だからね。けれど、この答えのない悩みは常にどこかにあって、カメラをやる以上はずっとこのテーマとは向き合っていくんだろうなと。ネガ、ポジ、ブローニー、ずっと使えればずいぶん悩みは吹っ飛ぶんだけどね。
まさに同感です。私もフィルムカメラ派でデジカメにはない、重たくて金属の固まりを手にする度に、今!写真撮ってるな〜と実感出来る所が快感になっているように思います。
散歩のお供に活躍中のオリンパスPenでさえ
あの小振りなボディに似合わない重量感も癖になります。
デジカメにはデジカメの、銀塩カメラには銀塩カメラの良さはそれぞれあると思うけど、自然に向き合っているのはフィルムカメラだとつくづく思います。
フィルムカメラのよさは、「手ごたえ」かもしれませんね。「味」とも言えるかもしれません。デジカメより濃い味。カメラだけではないプロダクトに感じるあの感じは何なんでしょうねー^ ^。僕も最近はデジタルで撮ることが多いですが、たまに人間らしさをチューニングするかのようにフィルムで撮りたくなります。