Leica M-P typ240

カメラのすり傷や剥がれも、写真と残す大切な記憶の一部。ブラックペイントのLeica M-P

アフィリエイト広告を利用しています
Leica M-P typ240

カメラのすり傷や剥がれも、写真と残す大切な記憶の一部。ブラックペイントのLeica M-P

たまにカッコいい革製ケースなんかを見るとカメラに装着したくなる時もあるんだけど、僕の場合は所有カメラはほぼすべてケース無しで裸で使っている(FUJIFILM X-E3だけオマケで付いてきた純正ケースを試している)。というのも、カメラは大切に扱いつつも「自然と刻まれるすり傷や剥がれ」にどこか憧れみたいなものがあるから。

これは遅れてカメラを始めた人間であることも影響があるかもしれない。僕が所有するカメラはここ数年で手に入れたもので、フィルムカメラなんかもじぶんで長年使い古してきた経験が無いんだよね。だから、ずっと昔から使い込んで、いい感じに古くなったカメラが異常にカッコよく感じるんだ。その人の生きざまみたいなものがカメラに刻まれてる気がしてね。

かといって、最初から見るからに古くなったカメラが欲しいわけじゃない。クラシックカメラでも、できれば比較的綺麗なモノを手に入れて、できればじぶんですり傷や剥がれを付けていきたいんだよね。そんな変な嗜好だから、カメラたちにはケースは付けていない。カメラデビューが出遅れた分、使い込んだ証のキズをはやく刻むためにケースをあえて付けずに使ってるところがあるんだ。

実はM型デジタルも、最新のM10-Pが登場した時にちょっと検討はしてみたんだけど、使い込んだ証を刻んでいきたい僕には、ブラッククロームボディより塗装が剥げて真鍮が見えてくるブラックペイントのtyp240ボディがいいと思って、少しずつその塗装の剥がれやすり傷が増えていくのを密かに楽しんでいる。

写真のLeica M-P typ240もボディ背面左肩と右サムレスト部分にわずかに真鍮が見えてきて、使うたびにその面積が微妙に大きくなってきている気がして、これがなんとも言えずニヤニヤするんだよね。

Nikon機もそうで、ほぼ使用感の無かったNikon Fブラックボディを手に入れて、日々少しずつだけどボディを撫でながら、そこに年輪みたいなものが刻まれていくのを楽しみにしている。いい感じにヤレていくまでどれほどの時間がかかるのか分からないけど、増えていく写真とともに、増えていくカメラのすり傷や剥がれもいい思い出の一つ。さて、この週末も撮って、撫でて、使い込むぞ。

関連記事