Leica M-P typ240

エルマー、ズミクロン、ズミルックスで撮ってみて思うのは、それぞれ必要だということ。

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Leica M-P, Elmar M 50/3.5

エルマー、ズミクロン、ズミルックスで撮ってみて思うのは、それぞれ必要だということ。

これはもう完全なる僕の主観なわけだけど、50mmのレンズを好んで使う僕がライカの古きレンズたちをひと通り揃えてみて思うことであってね、正解だとかそういうことではまったくないんだけど、エルマー、ズミクロン、ズミルックスは50mmライカの世界を代表するレンズでもあるから、そのことには触れておこうと。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まずエルマーなんだけど、これはひとことでいえば「影のある端正」ということになるだろうか。ライカレンズの最初期の銘柄でf値は3.5だから、いわゆるボケなどを期待するレンズではない。だから撮る意識もおのずと光景を切り取ることが主眼になる。それもシンプルに。僕の感覚はそうだ。なんというか清々しい世界を描こうというより、少し影のある世界を描写したいと思わせるレンズ、そんな気がする。けれど、静かなんだけどその中に狂気のような強さがある。いろんなレンズを使っても結局エルマーに戻ってくるというのは、人間が内に秘めた孤独性みたいなものの真理の証というか、とても分かる気がする。どうだろう。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

そして、ズミルックス。これはもう僕の中ではとにかく華やぎを持つレンズという印象が強い。どんなにシックなシチュエーションで撮ってもそこに華やかさを持ち込んでくるとでも言えばいいだろうか。そこにはネーミング通り「最高の光」という、光をふんだんに取り込むことで写真を作り上げるズミルックス流の写真の仕立て方がやっぱりあると思う。ズミルックスだけはとにかく開放よりで撮りたいと僕は思う。f1.4、特別なノクチルックスをのぞけばライカで最も明るいレンズであるその開放値を使わない手はない。僕はもともとボケは好きで、それで一眼レフでカメラを始めたところがあるけど、このズミルックスとの出会いがライカを一眼レフ以上のカメラへと押し上げ、夜スナップへと僕を導いた、ちょっと特別なレンズといっていいだろう。このレンズに出会わなかったら、僕はここまでライカにのめり込んでいなかっただろうと思う。

Leica M-P, Summicron 50/2 1st
Leica M-P, Summicron 50/2 1st

最後がズミクロンだ。順番通り、手に入れたのもズミクロンがいちばん最後なんで、まだズミクロンが何かと言えるほど量も撮りきれていない。ひとつ前のブログ記事には始めて試し撮りした印象を少し書いてはみたけど、まだまだこのレンズについては未知数だ。けれど、一般的に言われる力強さはこの一枚にも見て取れると思う。f3.5のエルマーとf1.4のズミルックスの間に位置するズミクロン。つまりエルマーの静かさや端正さと、ズミルックスの光をふんだんにすくい取る華やぎの両面を持ち備えている気がする。そんなことを普通にやるとどっちつかずの描写になりそうだけど、そんな屁理屈を吹き飛ばす強さがこのレンズにはある気がする。それはそうだ、実際には孤高の性能を誇るLeica M3の標準レンズとして当時のありったけの技術を注いで作られたレンズだから、最高を形にしたレンズであることは間違いない。

つまり、同じ50mmのレンズでも、僕程度の知識しかない単なるカメラ愛好家でも、この3つのレンズにはそれぞれ差であり味つけのレイヤーが存在し、それは代わりがきくとかそういう問題を超越して、それぞれ3つが同居して存在する意味とか意義を強烈に唱えている気がする。僕も最初はエルマーひと筋で行こうとか考えていたんだけど、それをズミルックスがいい意味で壊してくれ、最後はズミクロンが3つ存在する価値のトドメを刺してきた。カメラやレンズは深く突き詰めるという意味では所有する数は少ないほうが濃密だ。しかし、この3つのレンズだけは、それだけの種類があることを見過ごすことはむずかしいと今は思える。ここに来てようやく、ライカのレンズのことを熟考する機会が僕に訪れている。いろいろ書いたけど、ここからが始まりのような気が強烈にしている。

実は凄い、不変のMマウント。 実は凄い、不変のMマウント。 不変の…といえばNikonのFマウントで言われるフレーズだけど、そのNikonもいよいよZマウントへ...
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