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Nikon F6と50/1.4Dの試し撮り、なんか明日が見えた。

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Nikon F6と50/1.4Dの試し撮り、なんか明日が見えた。

この場合の「明日が見えた」というのは2つの意味があってね。ひとつは、やっぱりNikon F6で撮るスナップは深掘り甲斐があるぞという明日、そしてもうひとつは50/1.4Dはやはり二段ほど絞ったほうがいいんだろうなという明日。

この週末に初めて外へ連れ出したNikon F6と50/1.4Dの試し撮り現像データがあがってきた。インデックスで見るとなかなか鮮やかに見えたんだけど、家に帰ってiPadで大きくして見ると粗もけっこう多い。ただし、これは僕の絞り選定と腕が未熟なせいで、そういうことが写真を見ておぼろげながらも分かるようになったことが、明日があるなと。

50/1.4Dはなかなか癖のあるレンズと聞いていたので、とにかく最初の試し撮りは開放付近で撮ってみようと思った。秋桜のクローズアップはちょっと寄り過ぎた感じがするから、次回はもう少し引いたほうがいいなと思ったし、ボケの少々粗い感じを見ると繊細さを求めるなら二段は絞ったほうがよさそう。あと、引きの景色も今回は開放付近で撮ったけど、これも絞ればかなり綿密な写りが楽しめそう、とかね。

でも、なんにしても楽しかった。Nikon F6は素晴らしく僕の感性にフィットした。嘘偽りなく、F6のファインダーをのぞいて、シャッター音を聴いて、その完璧なまでに手になじむ様子を五感で感じ取って、僕はじぶんの中のベストなカメラにたどり着いたとひしひしと感じたから。恥ずかしいけど「F6と生きてゆく」、そう感じたから。

明日が感じられる、というのはいいよね。それは現在が完成ではないという証でもある。この先にどんなワクワクやドキドキが待ち構えているのだろうか、と例えようのない伸びしろを感じる瞬間。カメラや写真はほんとむずかしくて技術も必要だし、僕自身が写真は全然下手くそだから、もう明日があるというのはかなり前向きすぎる言葉ではあるんだけど、それでも楽しい、ひたすら楽しい。

そういうことが素直に感じられるのは、なにより幸福なことなんじゃないかと思ったりね。さて、先は長い。僕の人生の中で、何かしらの到達点に行けるかは甚だ怪しいけど、Nikon F6といくつかのレンズとで、いろんな世界を可能な限りノックしてみたいと考えている。

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