フィルムカメラ

何十年も昔の機械式カメラが、21世紀に普通に使えてるこの感じは、不思議な気持ちにもなるよね。

Canon F-1

今朝はこのCanon F-1でフィルム一本撮り終えたんだけど、例えばこの旧F-1だと登場したのが1971年だから、もう50年前のカメラになるんだよね。でも、意識もしないくらい普通に使えてる。冷静に考えると凄いことだよなと。

デジカメだったら、世の中的にはどうだろう、10年もせずに買い替えるところじゃないだろうか。その間に、一、二回は電子部品とかの修理に出して、なんとか10年ちょっと使い続けるイメージだろうか。僕はもっと古いデジカメを使ってるけど、まあ世の中の感覚的にはそんなところだろうと思う。

Leica IIIa
Leica M3

かたや電気を使わない機械式シャッターのカメラ(内蔵露出計を動かすのに電池を使うカメラはあるけど、いわゆるシャッター機構に電気を要しないカメラね)は、年代的には半世紀前くらいが主流になるのかな、10年前なんていうのはほんとつい最近の出来事と思えるくらい、普通に半世紀を生き延びている。このライカのカメラたちも共に機械式、今でもなんら不都合なく写真が撮れてしまうわけである。

Nikon F, Nikkor-S Auto 50/1.4
Nikon F2アイレベル & Nikon F2フォトミック

僕がふだん使っているNikon機でいえば、このFとF2たちが機械式。Fは日本の一眼レフの走りのカメラだから、その操作性に多少の緩さというか時代の大らかさを感じさせるけど、F2に至っては現代でも途轍もなく高い堅牢性を感じさせてくれ、当時のNikonの、いや日本のモノづくりの技術の高さを思い知らされる。もちろん、写真の写りも申し分ない。冷静に考えると、ちょっと脳がクラクラとしてくる出来事だよね、これは。

OLYMPUS OM-1N
Minolta SRT101

僕はこの機械式カメラという存在に魅せられて、その他にもOLYMPUS OM-1NやMINOLTA SRT101を使っている。これまた、ライカやニコン、キヤノンにまったく劣らないレベルの頑丈で高品質な使い心地と写りをいまだに提供してくれる。電気を使わずにこのボディの中で歯車やバネなんかを通じて機械が綿密に、滑らかに駆動してるかと思うと、もうほんと感動的なわけである。

Rolleiflex Standard & Rolleiflex 4×4
Hasselblad 500C/M

中判カメラでいえば、ローライフレックス とハッセルブラッドもそう。ブローニーフィルムやウエストレベルファインダーという独特の造りが、さらに機械式であることを濃厚なものにしてくれている。こうしたカメラたちとひとたび外へ撮影に出れば、ふだんとは別世界の穏やかな時間が目の前を流れていく。電気を使わない、機械式時計を眺めるような緩やかな時間の流れ方だよね。

Kowa SIX, Kowa 85/2.8
Kodak Retina typ117

もうついでだから、それ以外に使っている機械式カメラも載せておくと、この中判カメラのKowa SIXと、1930年代という僕のカメラの中でも最も古い部類の35mmカメラ、Kodak Retina typ117も現役だ。レンズ部分が多少くもったりみたいなことは当然あるんだけど、それでも然るべき修理店へ出せば、電気を用いない機材というのは、しっかりリフレッシュされてまた手元へ戻ってくる。もう画期的な機械という他ないよね。

だって、このまま部品と修理職人の人たちがいてさえくれれば、まだ半世紀は使えそうな肌感覚があるからね。ちょっと気が遠くなりそうな年数なんだけど、そんなことを忘れさせてくれるくらい、現代でも普通に使えるこの機械式カメラたち。今の若い人たちが、こうした機械式カメラに惹かれる気持ちはなんか分かるんだ。使い捨てない感覚というか、いつまでも長く使い続けることの美しさみたいなもの。

僕はフィルムの写真が好きだけど、それを紡ぎ出す「生き続けるカメラたち」が好きなんだな。懐古主義とかとはちょっと違うんだ。生きるモノの美学というか、本質的なモノのあるべき姿というか。だから、フィルムカメラはブームとかじゃなくて、本質の復権みたいな風に捉えてる。この目が節穴かどうかは、もう数年を見てみる必要があるけど。

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