フィルムカメラ

カメラは機能を語るんじゃなくて、カメラのある日常の素晴らしさを語ってほしい。

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Hasselblad 500C/M

これは正確にいうと「カメラは」じゃなくて「カメラメーカーは」かな。僕はカメラというプロダクトが好きだから、まあカメラという「モノ」にある程度執着してるけど、それでも正直「機能」なんてほぼ気にしていない。カメラ本来の楽しみみたいなものはフィルムカメラに教えてもらったようなところがあるから、機能なんてシンプルでいいんだ。心が躍るポイントは機能じゃない。そのカメラがあることで、日常が、僕の人生がどれだけ豊かになるか、それだけを追いかけてる。

でも、どうだろう。僕は特別だろうか。そうじゃない気もするんだ。たしかに僕はマニアックな部類に入るかもしれないけど、世の中のカメラを楽しんでる人たちの多くは、機能でカメラを手にしてる人のほうが少数なんじゃないかとさえ思う。

というのも、僕が最近目にした若い人たちのカメラの楽しみ方は、なんというかモノに必要以上に固執しない楽しみ方というか、モノなんかに浮かれていなくて、そのモノを通して、その先にある生活を楽しもうとしてる空気がとてもしなやかに伝わってくるんだ。少なくとも瞳AFがどうだとか、画素数がどうだとか言ってる人はそういない。いや、そうだろう、だってカメラは今や嗜好品で、そのカメラに求めるのは、そう、そのカメラがあることでじぶんの生活がどんだけキラキラするかってことだから。

でもね、その肝心な「生活や人生がキラキラするよ」ってことを説いてくれるカメラメーカーの姿が見えてこない。まあ、僕が鈍感で、僕だけ見えていなかったら申し訳ないんだけど、でもある程度カメラ消費に近い距離にいる僕に聞こえてこないとしたら、それはやっぱりカメラメーカーの声は仮に語りかけていたとしても、相当か細いものなんじゃないかと思う。

いや、そんなライフスタイルのこと言ったって儲からないっしょ、ということもあると思う。ビジネスだからそれはそうだ、売りモノである製品のこと(機能)をストレートに語ったほうが一見、売れ行きには近そうな気がする。でも、なんだかなあ、ちょっと違うんだなあ、僕らエンドユーザーの気持ちとはね。

きょう、ふと思ったんだけど、フルサイズミラーレスとか必要なのかなと。僕はNikonファンでNikonの未来を応援したい気持ちがあったから、その初代機であるZ6を買ったけど、日々の撮影を楽しむことでいえば、レフ機とオールドニッコールで十分楽しめるし、利便性の面でも事足りる。普通の人だったら、無理して高価なフルサイズミラーレスなんて要らないよなあと思ったんだ。いや、ぼそっと思い至った実はこれ真理なんじゃないかと。

新製品が出るとさ、なんか型遅れ商品みたいに扱われる感じもどうかなって思う。そこはね、ライカやハッセルブラッドとかは秀逸というか、旧型商品をまったく旧型に見せないマーケティングが徹底してる。むしろ、少し古い製品を使ってるほうがお洒落にさえ見える。新機能だけを競ったりアピールしていたら、こんなマーケティングは成立しない。やっぱりそこには、そのカメラがあることの心の高揚を何よりも最初に考えてるし、そのカメラがあることのストーリーを語ろうとしている、そのブランドの人格を感じる。

今の日本のブランドでいえば、SIGMA fpにそういう気配をちょっと感じるかな。送り出しているSIGMAというブランドにも、それを手にしているユーザーにも、ちょっと世界をいっしょにクリエイティブな毎日にしていこうよ、みたい共通意識で結ばれてるような風に見えるんだ。上手く言えないけど、いま嗜好品となったカメラが説かないといけないのは、そういうことだと思う。

カメラが直接的に、爆発的に売れる方法論からは少し寄り道をしてるかもしれない。でも、それは同時にモノが売れる収益だけじゃないビジネスの生態系を模索しないといけないということだと思う。今回、世の中はかつてない経験をして、世界は大きく変わろうとしている。本当に大切なことは何なのか、それは僕らが生きてくうえで本質的に必要なものなのか、そんなことを問いかけてると思う。もう、もとの世界には戻らないという意味でね。

僕は、きょうは現像したネガフィルムをデータ化することに没頭していた。フィルムカメラで撮ったフィルムを、Nikon Dfとオールドニッコールとスライドコピーアダプタでデータとして蘇らせて、それをLightroomでじぶんの心象色にする、これが時間を忘れるくらい楽しかったんだ。ここに、新製品の新機能は一切必要ないんだ。これは僕のパターンだけど、いま世の中でカメラを通じて日常を謳歌しようとしている人たちの多くは、カメラそのもののことより、そのファインダーの向こうの、そのカメラがあることで豊かになるシーンのほうを見てる。

僕はカメラファンだから、敢えてカメラメーカーにはチェンジを希望する。20世紀のやり口と同じプロダクトアウト一辺倒の語り口ではもう世界は回らないし、今回のステイホーム週間を経て、世界はもう巻き戻らないこともはっきりした。それでもフィルムカメラファンがいて、機能なんかこれっぽちも頭の中によぎることなくカメラのある生活を楽しんでる人たちがいるんだ。その意味、その本質を今こそ掘り下げて、新しい道を切り開いてほしい。そんな姿を見たら、俄然応援するカメラファンたちが、まだ今ならいるわけだから。世界の片隅からだけど、応援してる、僕は。

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