その集大成のカメラとは、Minolta X-700のことである。実は以前も一度、お店でX-700と遭遇し、購入を検討したことがある。けれど、その時は目の前の個体とフィーリングが合わなかったのか、手にすることを見送った。
けれど、一度は手にしようとしたカメラだ。そこは僕の中でけっこう強烈な印象があって、いつも心のどこかでX-700を探し求めていたじぶんがいた。そして、そうやって強く願い続けると、ある日目の前に現れるのが、銀塩カメラのまたおもしろいところなのである。
Minolta X-700は、ミノルタがMF一眼レフの集大成として昭和の終わりに世に送り出した、いわば完成形のカメラ。その特長は、プログラムAEが搭載されたことと、定評のあるアキュートマットスクリーンを採用した素晴らしいファインダーと言われる。(八百富さんのツイートもまたシビれる笑)
MINOLTA New X-700
New MD 50mm F1.4ミノルタカメラの完成形 !!! とは、あくまでも個人的な意見。明るくて合わせやすいアキュートマット、小型凝縮感、あと樹脂外装でも「くたびれ感」ではなくて「使い込んだ感」が出る所も大好き。1.4の塊感も、いかにも昭和最後期の凝縮感。まぁ褒めまくり機種です pic.twitter.com/xQvVhPitRN
— 八百富写真機店 ヤオッター (@yaotomicamera) January 5, 2020
けれど、僕がそれ以上に惹かれていたポイントは、そのいぶし銀的ルックスと、手の中に収まった時のなんとも言えない塊感と適度な重さの心地よさにある。派手さは無いんだけど、手に持ってみるとそのアルチザン的造りの良さがビンビンに伝わってくるのである。
こういうカメラは僕の中ではそれほど多くはなくて、強いてあげるなら他にはNikon FAということになるだろうか。Nikon FAも、このMinolta X-700も、いかにも「羊の皮をかぶった狼」的な独特の存在感があって、なんとも通好みなオーラを放っているのである。
詳しいスペックを調べるのはこれからなんで、ここではあまり多くを語らないけど(詳細スペックはこちらのサンライズカメラさんのX-700記事をどうぞ)、ひとつ言えるのは、僕が所有するミノルタの機械式カメラ Minolta SRT101と同様、いかにも道具然した男のカメラといったムードがプンプンするということ。(にっしんカメラさんのツイートによると、蜷川実花さんもかつて使っていたのかな)
緊急的な機械式シャッターも備えていない電子シャッター機だから、万一故障したらもう直せないと思うけど、だからゆえに「今しか楽しめない儚さ」がある。僕が電子シャッター機を数台所有する理由も実はそこにある。もちろん、内蔵露出計を生かして楽に、正確に撮れるという実用面の良さもあるけど、僕はその実用面よりもエモーショナルな儚さのほうに魅力を感じる。
1981年の登場から1999年まで、まさに昭和のものづくりが最も華やかだった時代の証のようなカメラ。そういう時代感を感じながら切るシャッターの感触が、なんともたまらないのである。あとは、ちゃんと写ってくれることを祈りながら試し撮りするのみ。カメラは時代を写す道具、その感覚を五感で噛みしめながら撮ることが最上の楽しみであり、癒しなのだ。