写真とは

「なぜ、そんな普通な写真を撮るの?」と言われても、明快に答えるのはむずかしい。

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Kioku Snap Photography

きょうは少し「世間と写真趣味の距離」みたいなことについて書いておきたいと思う。といってもそんな高尚な話ではなく、僕の独り言のような与太話なので、異論反論などはご遠慮いただきたい。

きょう僕はひとつのツイートをXに書いた。なにげに書いたのだけど、いろんな人が反応してくれているので、みんなどこか思い当たるフシがある事象なのだろう。

要は、写真とかカメラに特に関心のない人から見れば、僕が撮っているスナップ写真や、その道具である写真機への偏愛っぷりなどは「???」で理解不能ということだ。

Kioku Snap Photography

かんたんに言えば「そんな、スマホで撮れるようなその辺の風景を撮って、何の意味があるの?」みたいなことかな。そう直接言われはしないけど、まあ普通の人から見ればそういうことだろう。

それはそうだろう、じぶんでもそれが何か特別な決定的瞬間とも思っていないと認識はしてるので。でも、でもね、シャッターを切りたいと思ったんだよね、じぶんの本能みたいなものが。

その場に立ち込めた、些細だけど印象的だと感じた光や空気、息づかいみたいなものを、なんか無性にじぶんとカメラの共犯みたいな心理で撮りたいと思ったわけだ。そこに言葉で明快に言い表すような理由などない。

Kioku Snap Photography

別に撮らないで通り過ぎることもできたなんてことない光景なわけだけど、それでもふと立ち止まってじぶんはシャッターを切ろうと考えたわけである。例え無意識だったとしても、そこには「撮る」と「撮らない」のなにかしらの境界線があったわけだ。

それだけでいいのだ。撮る理由らしきものなんて。そんなへんてこりんな写真でも、じぶんではドキドキしたし、構図や露出を考える一瞬、ニヤリとできる。じぶんが頭の中で思い描いた写真と近ければうれしいし、想像もつかなかったように撮れればもっとうれしいわけである。

Kioku Snap Photography
Kioku Snap Photography
Kioku Snap Photography

そんな心の奥底でフツフツと歓びや気づきみたいなことを感じとっていることなんて、周囲の誰も分からないわけだから、それはもう、その写真を見ても「???」なはずである。じぶんでもなぜ撮ったかわからないような写真なのだから。

でもね、いいのいいの、趣味なんてそういうもの。分からないから、おもしろいし、答えのない問いのような世界に引き込まれるわけだ。むしろ、誰にでも分かるようなものには、人は惹かれない。ちょっと何を書いてるか分からなくなってきたが笑

Kioku Snap Photography
Kioku Snap Photography
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そんなスマホでも撮れるような写真のために、そんな高価なカメラをわざわざ手にして撮る意味がわからん、というのもほんとその通りだ。僕の撮る写真なんか、それはもうありきたりの境地みたいなものばかりなので。

けれど、じぶんではどれも世界に一枚しかない写真で、そのひとつひとつに些細だけどちょっとこだわりのような機材選定やセッティングがあるわけだ。それをわずかずつズラすように撮り比べることが楽しいのだ。実験と科学なのだ。

Kioku Snap Photography
OLYMPUS PEN-F,
FUJIFILM X100V

誰にあげるわけでもなく、他人から見て特別なものは何一つ写っていないのだけど、それでもじぶんを見つめるように静かに辺りの光景と対峙してシャッターを切ることは尊いのだ。じぶんにとってはね。

世の中、誰でも理解されるものが素晴らしいとはかぎらない。わかりっこない事象のほうが、グッと胸に刺さることもあるのだ。それが、僕にとってはスナップ写真だ。

なんにも写っていないけど、そこには僕の心情や人生のかけらみたいなものが写っているのだ。(終わり)

街の片隅という世界を撮ろう。 Instagramなんか見てるといかにも"世界"という外国らしい雰囲気やクールな写真を見るけど、なかなかどうして日本の街の片隅だ...

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