写真とは

モノクロームで撮ろう。光と影の世界を観察しよう。

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FUJIFILM X100V, Blackmist No.1

人生には何度か(何度も)「写真はモノクロームで撮ろう」という思いが込み上げる。これは、写真をやってる人なら必ず通過する儀式のようなものなんじゃないかと思う。僕も御多分に洩れず、ブログを過去検索すると何度も「これからはモノクロームだけで写真を撮っていこうと思う」と書いていたりする。

とはいえ、モノクローム専用機のデジカメを持っているわけでも無いし、フィルムにしても行きつけのラボはカラー現像機しかないから、しばらくするとカラー写真に戻っていたりするんだけどね。それでも、何度も繰り返してるのにも関わらず、再び「残りの人生はモノクロームで撮ろう」とか思い立つのが写真なのである。

実は昨夜もふとそういう写真の神様が僕の元へ降りてきた。理由は定かじゃない。フィルムはネガカラーのストックがかなりの数あるから、これを一気にモノクローム化するのはむずかしい。あいかわらずラボはカラー現像機しかないしね。僕自身が自家現像もやらないから、フィルムにいたってはまあしょうがない。

でも、デジカメについてはボタン操作ひとつでモノクローム縛りにすることができる。というわけで、早速移動の道すがら数枚だけだけどモノクロームで撮ってみた。カメラはFUJIFILM X100V、フィルターにはブラックミストNo.1を装着して。僕の中のモノクロームといえばRICOH GRで撮っていた頃の記憶が鮮烈なんで、その頃と同じようにかなり絞ってF8で撮ってみたのが上の一枚。

もうほんと、何の変哲もない街角の写真なんだけど、僕的にはなかなか感慨深くてね。それはやはり、僕にとってはカメラとレンズは壮大な実験装置で、こうやって何かしら制約という名のテーマを設けて、それを試して撮る感じがクイズやパズルを解く感じがして実に楽しいんだよね。X100VだとOVFで撮れるから、それは例えばレンジファインダーのライカのように、素のガラス越しに見た色付きの世界が、その後モノクロームの写真になって目の前に出現する感じがこのうえなく楽しいんだよね。

これこそ、僕の中では「カメラ内現像」みたいな状態。ここで言う現像とはデジタルのレタッチを意味するのではなくて、フィルムのアノ現像ね。つまり、撮った後、瞬間的に現像し、モノクローム写真のできあがりを確認する。例えデジカメであってもこの時差が楽しいのである。

モノクロームで撮ると、必然的に光と影の交錯した部分を注意深く観察するようになる。色の折り重なりを探すのではなくて、辺りの明暗の交錯した場所やシーンを探すということ。これが、けっこう新鮮だったりする。制約はアイデアの母というか、モノクローム縛りにすることで、そうやって得るものも大きいってこと。制約がドキドキとかワクワクする気持ちをもたらしてくれるという感覚かな。

僕らアマチュア写真愛好家は、写真は仕事じゃなくて趣味だから、いつも常に写真ファーストというわけにもいかず、面白みのあるロケーションばかりで撮れるわけではない。むしろ、特に面白みのないシチュエーションの中で生活している時間のほうが圧倒的に多いわけだから、その意味でも姿かたちだけで被写体を追いかけるのではなく、例え撮るものは平凡な形だったとしても「光と影」を写真に収めようと考えると、ちょっと目の前のなんてことない光景の中にもユニークさを見出すことができる。

モノクロームとは単に色の引き算ではなくて、むしろイマジネーションの足し算みたいなところがある。言葉でいうのはむずかしいけど、あえて言うなら「まるでカラーの光景が頭の中に浮かぶようなモノクローム写真を撮る」、そんな感じだろうか。そういう楽しみを密かに胸の中に装填して、しばらくモノクロームで撮り続けてみようと思う。今回は何日持つか分からないけど笑。

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