フィルムカメラ

いまだからこそ、フィルムとゆっくり生きてみる。

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Konica C35, Kodak Gold200

一昔前と比べると、フィルムはほんと高価になった。僕がフィルムを始めた数年前は、いちばん安くて常用フィルムにしていたFUJIFILM 業務用(記録用)100が24枚撮りなら一本¥200で、10本セットで大人買い!なんて言っても¥2,000で済んでたから、現像代やデータ化代はかかるけど気分的に高価なものではなかった。

でも、いまは業務用100も販売終了となり、その後に最安値で使っていた一本¥700程度だったKodak Gold200も、いまは倍の¥1,400ほどする。これに現像代やデータ化代(スマホ転送)なんかを足すと、フィルム一本で36枚撮るコストは¥3,000を超える感じかな。一枚あたり¥100とかかかる計算かもしれない。

たしかに、高い。デジカメならカメラさえあればあとは0円で済むコストを考えると、冷静に考えるとちょっと躊躇するのもあたりまえだと思う。昔フィルムで撮っていた人が数年、数十年ぶりにフィルムで撮ろうと思いフィルム価格を調べると、あまりの価格の違いにびっくりしたというツイートなんかもたまに目にする。

Konica C35

僕も以前は四六時中フィルムで撮っていた時期があるから、さすがにもうそんなペースではフィルムは使えないんだけど、やっぱりね、フィルム写真が持つ独特の光の掬いとり方とか、少しザラつきのある粒状感、ノスタルジックな掠れた感じとかっていうのは唯一無二であって、値段の問題だけでなかなか手放せないところがある。

そうやって、最近また平日の日常スナップにフィルムカメラを持ち出したりしているのだけど、「フィルムは貴重品」という意識が多少あるのかもしれないけど、これが言うほどコストがかからない。つまり、それほど大量にシャッターを切らないから、週に一本撮るか撮らないか、そんな感じなのである。

そんなペースであれば、趣味に投じる金額としてはそれほど非常識なものではないなとも思うのである。それでいて、撮った瞬間にはどんなふうに撮れているか分からないあのちょっとワクワクする感じが、毎週現像をするたびにクルクル回り続ける感覚があって、つまり常に何か小さな歓びみたいなものを待っている日々が続く。なかなか無い、終わりのないプレゼントみたいな毎日だったりするのである。

Konica C35, Kodak Gold200

ちょっと大袈裟かな。でも、なんとなく小さな歓びがゆっくりと連続していく感覚はあると思う。それがデジカメとは最も異なる写真との関係値のようにも思う。どうだろう。

僕はデジカメも好きでよく使うんで、デジカメが良くないという話ではない。デジカメだと知らず知らずのうちに何もかもがスピーディになっているその時間感覚の少し過度な日常スピードを、時にフィルムで少し緩めてあげることができれば、それは想像以上に心地いいものになるという感じかな。何もかもがデジタル時代の今だからこそ、フィルムとフィルムカメラが見直されているのかもしれない。

時間は有限だから、便利になるということは「時間を削る」ことだったりするけど、時間を削ること=豊かなことなのかなと考えると、案外そうではないんじゃないかとも思ったり。手間がかかるとか、なかなか思い通りにはいかないとか、少しコツがいるとか、そういう子供時代に普通に少し汗をかいて楽しんできたあの時間の流れ方を、もう一度毎日の中に少し混ぜてもいいんじゃないのかなって。

つまり、生活を少しスローにするということ。

フィルム写真の質感やフィルムカメラのノスタルジックな風合いもいいんだけど、この時間の流れ方を緩めるという意味でも、フィルムがまだなんとか楽しめる今のうちに、生活の中に取り入れてみるというのはアリなんじゃないかな。

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