Canon F-1はいいぞ。Nikon党の僕が言うんだから間違いない。
夏休みの残り2日。さすがに太陽にあたりすぎて少しバテているので、きょうは部屋で空シャッターを切ってカラダをゆっくり休めている。
それにしても、このCanon F-1、見た目も触ったフィーリングも実に良いのである。この夏休み前に僕の手元にやってきたばかりなので、試し撮りは終えたものの現像出しはまだこれから。さすがにちゃんと撮れてるかどうか確認できないと次のフィルムを入れるわけにはいかないんだけど、なかなか我慢できないんでこうして空シャッターを切り続けている夏休みなのである。
このF-1のことについては早速二つほど記事を書いているので、興味のある方は読んでいただくとして、
そうそう、あと昨夜、とても読みやすいF-1の〈カメラのナニワさんの記事〉を見つけたので、詳しいことが知りたい人はそっちをよんでもらったほうがいいか笑。(僕の記事は気分重視で書いちゃってるからね。毎度スペック知りたい人には申し訳ないです)
で、この記事の中にも出てきてるけど、五年の歳月を費やして開発されたこともキヤノンがこのF-1に込めた気合を感じるわけだけど、それ以上にその本気さを表してるのが「10年はモデルチェンジしません」という宣言だったと思うんだよね。
この頃のプロ機というのは、新社会人の給料の半年分くらいの値段だったというから、これはたしかに現代のフラッグシップ機を買うのより大変な高価さだったかもしれない。そんな大金を費やして手にしたカメラが数年でモデルチェンジしてしまうのは、やっぱりユーザーとしては少し残念な気持ちになる。そこをキヤノンは「10年はモデルチェンジしない」と最初にうたったわけだから、これは相当インパクトのあるフレーズだったに違いない。
それと、なりよりも「この先10年は新商品が必要ないほどの先進的かつ丈夫なカメラを作った」という誇りであり自信が込められた証だったんだろうね。実際、ライバルのNikon F2フォトミックと比べても、露出計を載せながらもこのスマートなペンタ部デザインで登場してきたことは、先行するNikon Fシリーズを追い抜くんだという気合を見るからに感じる。
写りのほうは、現像出しがまだなんでご容赦いただくとして、その操作性の素晴らしさやプロダクトとしての質感の凄さは、まさしく「プロ機」としてのすべてが凝縮されたような、僕らアマチュアの写真愛好家にはすべてが満足いくハイレベルなもの。機会があれば、ぜひ中古カメラ店でその「触れば分かる本物のプロ機」の素晴らしさを堪能してほしい。なんてったって、Nikon FやF2、F6を使ってきたNikon党の僕が言うんだから間違いない笑。