写真とは

宇多田ヒカルさんのアルバムジャケット的な、このジュリアン・ミニョーの世界観が好きだな。

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やっぱりいいな、ジュリアン・ミニョー氏のポートレート。このブレ具合が僕にはたまらないけど、シャッタースピードで描けそうな気が一瞬するんだけど、そんな理詰めなもんじゃないということも瞬時に突きつけられる。そういう難解さも含めて惹かれるんだけど、写真そのものは難解さを微塵も感じさせない軽やかさで、あ、写真ってやっぱり奥が深すぎてそこがたまらないんだろうなと思う。しかも、この写真は色もたまらない。こういうヒラリとそよ風が吹くような軽やかな世界をみると、無性にカラー写真が撮りたくなる(僕は今年は一年間モノクロで撮ると決めているんだけど)。

で、モノクロの彼の写真もあの宇多田ヒカルさんのアルバムジャケットのものを貼っておこう。音楽アルバムというのは、聴いていない段階で買うかどうかを決めるという意味においてはジャケット(写真)はとても重要で、今回のアルバムでいえば僕はこの写真に強烈な印象を受けて購入したと言っていい。音楽が聞こえてきそうな臨場感がこのブレた写真からは強く伝わってきた。みんなにしてみればどうだろうか。

写真というのは何なんだろうね。世の中に高価な機材は天井知らずで存在するけど、それは精密に撮りたいことを突き詰めた結果というわけでもなく、こうして人はブレた写真が好きだったり、味わいという揺れというか揺らぎを求めて昔の時代のフィルムカメラに魅せられる人たちがたくさんいる。数日前、初代iPhoneが発表されて10周年の記事があちこちに出ていたんで、僕も懐かしくて3GSで写真を撮っていた頃を思い出したりしていたのだけど、今のiPhoneカメラと比べるとずいぶんと解像度の粗い写真しか撮れなかったけど、今のじぶんのiPhoneで撮る写真よりも好きな味付けだったなあと思ったり。どこかの引き出しにしまってあるはずだから、引っ張り出して充電してカメラとして使ってみようかなと思った。どうやって撮った写真を取り出せばよかったんだっけ。ま、いっか。3GSを眺めるだけでもグッとくるものがある気がするし。

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