Olympus OM-1N

ドキドキしたいなら、フィルムカメラがいいよ。

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Rolleiflex Standard, Olympus OM-1N

だって普通、買ったモノが正常に使用できるかどうか分からないモノなんてなかなか無い。けれど、フィルムカメラはそれが前提。まず新品のフィルムカメラはほぼ無いから中古カメラを選ぶわけで、そうすると外観や動作確認はできても、実際にフィルムを入れて撮り、現像してみないと実用品かどうかは分からない。まずここで最初のドキドキがある。僕は今日なんかも手に入れたばかりのOM-1Nの初の試し撮りをし、その撮影感覚には感激したものの、それは操作の話であって、写真がきちんと撮れているかどうかはまだ分からないのである。凄いよね、数万円も出して買ったものが、使用した後も写真機として使えるものかどうか分からないんだから。

仮に試し撮りでちゃんと現像ができても、フィルムカメラなら毎回ドキドキで、それは永遠だ。だって、デジカメのように撮ったその場で写真を確認することができない。背面モニターなんて無い。あるのは、頭の中に何となく思い描いた被写体の残像であり、写真が仕上がった時のイメージだけ。フィルムカメラはシャッターを切ってフィルムを撮り終えたらラボへ現像を出して最速でも一時間はあがりを待つことになる。つまり、撮った後、現像があがるまでの間、どんな写真があがってくるのだろうとひたすらドキドキが続くのである。こんなモノって他にあるだろうか。

露出合わせだってドキドキだ。機械式カメラを選んだら、基本、操作はすべてマニュアルで、デジカメのようにカメラがオートでやってくれることは何一つ無い。絞りも、シャッタースピードも自分でら決めなきゃいけないし、選ぶフィルムの感度の違いで写真の雰囲気もけっこう変わる。そのフィルム自体もいろんな種類があるから、基本はじぶんでいろんなパターンで撮って経験を積んでいかないと、撮れる写真のイメージも、それに必要な露出や構図の決定も毎回ドキドキの連続だ。

つまりよほどの百戦錬磨のプロでないかぎり、シャッターを切った瞬間にその写真がいいかどうかなんてほぼ分からない。シャッターは切ったものの、何らかのミスで写真が一枚も撮れていないことだって意外とあったりする。これだけハイテクで失敗の無い現代でも、フィルムカメラだけはいい意味で分からないことだらけ、そういうリスクも含めて実にフィルムカメラはドキドキが終わることは無い。それはもう、一生試し撮りみたいな生活なんだ。

ちょっと笑いが出るくらいドキドキばかりのフィルムカメラ。便利かといえば不便なモノかもしれないけど、不便がダメかといえば、それは決して不安とは違う。心配でドキドキするんじゃなくて、期待でドキドキできる、不確かさこそがいちばんの楽しみであり、フィルムカメラにはその要素が色濃くまだ残ってるんだ。そして極め付けは、記憶メディアであるフィルムがいつまでこの世で使い続けられるかも分からない。けれど、これにしたって逆に言えば、今しか体験できないフィルム撮影を体感しているドキドキがある。どうかな、呆れるくらいドキドキできそうだよね。

僕はさまざまなフィルムカメラでそれなりに量を撮るようになってるけど、いまだにそんな初々しいようなドキドキを毎日感じまくってる。このドキドキはきっと終わりはないんだ。スマホのカメラがあればいつでもどこでも写真は撮れるし、デジカメを持っていれば失敗を心配せず本格的撮影体験もできる。でも、ここまで書いてきたようなドキドキは無い。趣味でやるカメラだとしたらドキドキしないとおもしろくない。だから、僕は断然フィルムカメラをすすめるのである。

とはいえ、フィルムカメラってフィルム代や現像代とかコストもかかるじゃないですか!とか言われそうだけど、そのコスト感覚すらもドキドキの毎日と言えるんじゃないだろうか。僕はもうそんな感じだ。フィルムで撮っては、あまりに夢中で撮りすぎて、現像に出す段で少しあたふたする場面も。それでもこれだけフィルムカメラで撮り続けてしまうのは、あのドキドキの日々を経験したら、ちょっとやそっとではカメラをやめる気にはならない。カメラ沼やレンズ沼とか言うけど、真の沼はあのドキドキから抜けられなくなるってことなんじゃないかと思ってる。

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