Leica IIIa

なぜマニュアルで撮るカメラたちが楽しいのか。

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デジタルのNikon Df, フィルムのLeica IIIa

なぜマニュアルで撮るカメラたちが楽しいのか。

僕はフィルムカメラ派でもデジカメ派でもない。強いて言うならフィルムライクなカメラ派と言ってきたけど、まあもっとシンプルに言うなら「マニュアルで撮るのが楽しいカメラたち派」ということになる。

この「マニュアルで撮るのが楽しい」というのも、いくつかの要素がある。まずは、操作ダイヤルの楽しみ。

今朝のブログに載せた富士フイルムの開発者の人のコメントにもあった通り、ライカなどのカメラがいいのは電源を入れなくても絞りやシャッタースピードを合わせられること。これによって速やかにスナップ撮影が楽しめる。

そして、それは機能美にもつながる。むき出しになった操作ダイヤルはデザイン的にもとてもアクティブで美しい。カメラは写真を撮る道具だけど、その道具そのもの美しさに惚れる人が多いのは、表現することに興味がある人にとっては必然だろうと思う。

マニュアルで撮ることの楽しみ、もう一つは「写真に揺らぎが生まれること」だと思う。僕は絞り優先などで撮ることもあるけど、余裕があれば大抵マニュアルで撮る。

ISO感度もオート設定ではなく、撮る時にその都度100とか400に合わせる。夜間だと1600とか3200かな。フィルムカメラで撮る時の要領で、撮るシチュエーションに合わせて感度を決めて撮る。

その感度に合わせて、絞り値もシャッタースピードもカチカチと合わせて撮る。フィルムカメラはともかく、デジカメでなんでそんな面倒くさいことをして撮るのかというと、そのほうが適度に失敗写真が生まれるからなんだよね。僕の楽しみとしてはこれがいちばん大きいかな。

オートで撮影すると、まあ失敗的な写真は減るんだけど、どれも平均的にそこそこの写真が出てくる感じがして、僕は楽しくない。露出を間違えて、オーバー目やアンダー目に写真が転ぶことのほうがワクワクするんだ。

電子機械は優秀だから、極限の環境下でも失敗の許されない撮影では現代のカメラのオート機構なんかはほんと素晴らしいと思う。けれど僕のようなアマチュアの写真愛好家は、そんな極限の環境下にはない笑。

だから、ゆっくりでいいんだ。失敗もたくさん許される。むしろ、失敗こそが味であり楽しみなんだ。

まあ理屈を文字にして説明しようとすると、こんなことになってくるんだけど、その見た目の機能美や操作感も、そこから生まれる写真の適度な揺らぎも、なんというか人間的なんだよね、結局。

僕も少なからず日々の仕事の中でデジタル環境とハイスピードな時間の流れの中にさらされて生きている。それは現代社会を生きるにはある程度しょうがないこと。そんな日常とバランスをとるには、アナログ的で人間的なものを本能が欲するんだろうね。

真の便利なハイテクカメラを求める人たちからは怒られそうだけど、僕にとっては瞳AFなんかどうでもいいし、秒速何コマ撮れるなんて性能はまったく求めていない。デジカメに搭載されているハイテク機能はほぼ使い切れていないダメなユーザーかもしれない。

でも、時代遅れ的なじぶんのカメラの楽しみ方が、僕をズブズブにカメラにハマらせてくれたんで、これもまた普遍的なカメラの楽しみ方なんじゃないかと、今はとてもリラックスしてじぶんのカメラ生活を謳歌している。

まあ、あまり万人におすすめする楽しみ方ではないかもしれないけど、そんなカメラの楽しみ方もあるということで、ちょっとブログに書き記してみた。この「マニュアルで撮る楽しみ」というのは、もっともっと深い。続きはまたおいおいこのブログで。