写真とは

なぜかSONY機とは縁のないカメラ人生なんだ。

アフィリエイト広告を利用しています
Olympus PEN-F, M.Zuiko digital 14-42

SONY機の話を持ち出しといて、なぜカメラの写真がPEN-Fなのかというと、単にSONY機を撮った写真が無いからということなんだけど、実はPEN-Fを最初に手に入れた時、少しだけSONY機の購入を迷っていた時期があるんだよね。

その時、検討していたのはSONY α7II。すでにα7IIIが出てたんで、ひとつ前のモデルは安くなっていたこともあるしね。中古も見てたけど、その時検討していたのは新品のα7IIだった。その隣の隣くらいにPEN-Fが展示されていてね。フィルムの現像出しや受け取りでカメラのキタムラに頻繁に出入りしてる時、待ち時間にいろいろとデジカメコーナーを暇つぶしにのぞいてたんだよね。

で、僕はその時、結局PEN-Fを新品で購入するに至り、α7IIは、いやSONY機は再び未開の地になった。考えてみると、まだNikon Z6も購入するかなり前の話だから、その時にミラーレス購入といえば、まずは定番ともいえるSONYのフルサイズ機を購入してもおかしくなかった。けれど、僕は世の中のフルサイズミラーレスブームには背を向けて、マイクロフォーサーズのPEN-Fを購入することになる。それくらい、PEN-Fのデザインとシャッターフィールの心地よさに心奪われたわけだ。

一度はPEN-Fを手放したものの、その後に再びPEN-Fの未使用品を買い戻したことを考えると、僕の選択眼は間違っていなかったとも言えるんだけど、あの時もしSONY α7IIを購入していたら、多少僕のカメラ人生はその後変わっていたかもしれない。なんてったって、世の中はなんだかんだSONY αシリーズが席巻してるようなところあるしね。実際、NikonとCanonの二強時代からうって変わって、世の中はSONYとFUJIFILMの二強時代へと姿を変えているといってもいいくらいだからね。

たしかに一眼といえばNikonがメインである僕にしてみれば、新たにSONYのマウントを増やしたくないというのもあたかもしれないけど、マイクロフォーサーズのマウントを増やしたのであれば、SONYのマウントだって増やせたはずだ。けれど、どこか僕の中でSONY機はじぶんの中の上位の選択に入ってこないんだよね。なぜだろう。

SONYが嫌いなわけじゃないけど、だからといって好きなわけでもない。なんとなく印象として「SONYはカメラというより家電のイメージ」と思っている感も少しある。フィルムカメラを愛する僕にとっては、SONY機はあまりにハイテク家電に見えすぎて、良くも悪くもカメラらしさをあまり感じないというところもあるのかもしれない。

この話には行きたくところもオチも何も無いんだけど、これだけ多くのカメラを手にしている僕が、なぜかSONY機だけはまったく未体験というのもおもしろいなと思ったわけである。

その後、満を持してというか、フルサイズミラーレスはNikon Z6を購入するに至ったんで、なおさらSONY αシリーズは僕の目の前から消え去った感がある。万一、SONY機を購入するなら、それはα7シリーズではなくて、フルサイズのコンデジSONY RX1の購入を検討するであろう。それならこの先、意外とSONY機を持つことは可能性としてゼロじゃないと思えるのだ。

それもこれも、ただSONY機を食わず嫌いなだけかなあ。使ってみると意外とハマるのかなあ。でも、考えてみると、僕の所有するデジカメはどこかフィルムカメラの趣を反映したものばかりになっているかもしれない。そうなると、現代のハイテク時代を象徴するかのようなメカメカしいSONY機のイメージは、僕とは縁遠い存在なのかもしれない。

正確にいえば、SONY機だけじゃなくて、FUJI機も一台しか持っていないし、Canon機もフィルムカメラであるF-1は持っているものの、現行のデジカメは一台も持っていない。ある意味、僕の中で「最後の砦みたいなカメラ」なのかもしれないね。

SONY機をメインに使われているひとたちの動機とかきっかけとか、ちょっと知りたいな。なぜSONY機を使わないか?ではなくて、なぜSONY機をメインに使うようになったのか?。そして、それは機能的理由である他にエモーショナルなカメラ愛は発動したのか、とかね。なぜか?、だって僕は「カメラを確かめたい病」で、一度も使ったことのないカメラブランドが存在することが、どこか気になっているからね。せっかくだから、久しぶりにα7シリーズ、お店で触ってみようかな。僕のカメラ道みたいなものを探る意味でもね。

関連記事