撮る時は撮る、撮らない時は撮らない、とした。
そんな当たり前のことを何を今更?とか言われそうだけど、以前の僕はほんといつでもどこでもカメラを構えていたようなところがあって。それはそれで楽しいわけだけど、フィルムに慣れる期間としてはそれでもよかったんだけど、ある程度フィルムにも、手持ちのデジカメにもひと通り慣れてきた今だったら、そんな乱れ打ちのような撮り方はもうしなくてもいいのかなと。
だから最近は、平日の朝晩の愛犬の散歩にはカメラは何も持たずにiPhoneだけ。仕事終わりの帰路でも「きょうは撮ろう」という気分の時以外はむやみにカメラを鞄から取り出さなくなった。通りすがりの街撮りスナップとしても、撮るならそこに何かしらの意味を見出そうと考え始めた、そんな感じだろうか。
でも、カメラをやり始めて数年経つから、こんなことも考える余裕みたいなものができたわけで、これからデジカメを始めたりフィルムを始めるというのであれば、無意味でもいいからめったやたらにシャッターは切る期間というのはあったほうがいいと思ってる。質とはやっぱり量からしか生まれないものであってね。あまり小難しいことを考えずに大量にシャッターを切ることで、だんだんと肉体の中にカメラが定着していく感じはやっぱり大切で、カメラや写真をフィジカルで覚えるという良さがそこにはあるんだと思う。
そういう時期を経たからこそ、いま、シャッターはもうちょっと大事に切りたいと思うようになったし、逆にカメラのことを意識せずに散歩したり、街を歩いていく潔さだったり気持ちよさにも気付き始めたということなのかもしれないよね。
フィルムもジワジワと高騰しているし、写真を一枚一枚たいせつに撮る感じというのは、いまの僕には収まりがいいカメラとの向き合い方なのかもしれない。Twitterのタイムラインにはきょうも大量の写真が流れてくるわけだけど、あ、これはがむしゃらに撮ってる期間の写真なのかなとか、あ、これは一枚一枚ゆっくり撮る期間に突入したものだなとか、そんな目線で見てたりする。写真は良くも悪くもその時のじぶんがぜんぶ出ちゃうからね。そういうことを感じながら、写真を眺めてる。