今週手に入れたオールドレンズ Carl Zeiss Jena MC Pancolar 50/1.8をアダプターを介してNikon Dfにつけて、初の試し撮りへ出かけてみた。結論から言うと、想像通りの楽しさだった。いや、想像以上かな。
このレンズは1970年代から80年代にかけて東ドイツ時代に分断されていたカール・ツァイス・イエナが送り出したもの。レンズ構成的には西ドイツのカール・ツァイスの“プラナー”に値するもの。外観や部材なんかはコストを抑えてあるけど、その写りはいかにもツァイスと聞いていたので、撮るのが楽しみでならなかった。
その描写はなんと言えばいいんだろうな。僕的にいえば“綺麗な瞳”という感じかな。開放気味でいろいろ撮ってみたけど、ボケ具合はよく見ると粗さもあるんだけど、パッと見た感じではそれを感じさせない綺麗な印象を伝えてくる。全体の織りなすバランスがとれた美しいひとといったところかな。どうだろう。
このPancolarはM42マウント。なのでNikon Fマウントに装着できるマウントアダプターを介して装着している。ミラーレスではなくて一眼レフにつけるフランジバックの関係上、焦点距離は1.3倍になるらしい。あと無限遠が出なくて距離目盛でいうところの10mくらいまでかな。ただ35cmくらいの接写が可能だから、こうしたマクロのような写真が撮れたりする。そういう癖や制約も含めて楽しいと僕は思えるんだけどね。
Dfにはふだんはオールドニッコールをつけて撮っていたんだけど、ニッコールよりはやはり綺麗な気がしたかな。ニッコールはもっと男性的というかキリリとしたシャープさがある気がする。それに対してPancolarは女性的なラインや光の捉え方をすると思たけど、どうだろう。
それにしても、すっかりオールドレンズの世界にハマってしまった。それもこうして現代のデジカメにつけて撮るのがおもしろい。時空を超えて古きレンズと現代のボディが交錯する感覚、そこに正確ではない曖昧さを見せる感じが僕にはとても神秘的で神々しく思える。写真に詳しいひとから見ればいろいろと甘い認識かもしれないけど、僕はこの不完全な曖昧さが好きだな。カメラと過ごす時間くらい正確無比な世界から解放されたいから。そこはフィルムカメラで撮る感覚と同じなんだ、僕にはね。あとはこのM42の深みにはまらないことを祈るだけなんだが笑。
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