だから「いい」というわけじゃなくて、だから「ダメ」だとも言えるんだけどね。いい写真を撮ろうと思えば、いい被写体を探すために汗をかいて、努力をして、テクニックとしての勉強もしたほうがきっといいに決まってる。けれど、僕は性格というか、生活の順番の付け方というか、写真を撮ることにあまり無理をしたくないと思うところがある。だから、撮る写真はいたって平凡だ。仕事帰りのストリートだったり、週末の愛犬との散歩道だったり。特に劇的なことは目の前でそうそう起こるシチュエーションじゃない。そう、平凡な景色。
でも、じぶんではけっこう楽しいんだ。そんな平凡な景色の中に、ちょっとした光と影の交錯を感じたり、街の匂いとか気配なものをわずかに見つけて撮る。光ということでいえば朝晩の撮影が多くなる。平凡な光景に少し変化が混じるからね。それと、僕の場合、決定的なのは「写真を撮ること以上に、シャッターを切る行為が好き」ということ。だから、誤解を恐れずにいえば被写体はなんでもシャッターが切れればある程度楽しい。写真を本気でやってるひとからは怒られそうな、実にたわいのない動機だけど、いつでもシャッターが切れるように、毎日決して軽くない重量のカメラを仕事鞄の中に入れて出社している。職場の同僚なんかからはほんと驚かれるよね、常にカメラを持参しているからね笑。
これはもう家でも一緒で、息子からは呆れられたように「いつもカメラ持ってて、ほんと好きだなカメラ」と言われるからね笑。息子はカメラには1ミリも興味がないから、まあ四六時中カメラを持ち歩き、あちこちでなんの変哲も無い光景をパシャパシャ撮る僕は変人なのかもしれない。妻にいたってはもはやカメラのことは会話にも出さない。もう僕とセットだから、特に日々そのことについて語るものではなくなったんだろうと思う。まあこうなると、もはやいいことか悪いことかもよくわからない。そう、僕にとってカメラは空気のようなもんなんだ。
そうして日々、平凡な写真を量産しても救われるのは、こうしてブログを書いてるからかな。家族や知人の写真以外は、基本的にすべてブログ用だから。なんてったって写真自体が平凡なわけだから、ブログがそれほど特別なものになるはずもない。だから、カメラ同様、僕にとってのブログは空気のようなもの。特別、書く前にかしこまって準備するわけでもなく、即興のようにしゃべり言葉でどんどん書いていく。ブログを始めた頃はパソコンで書いていたけど、今はほとんどiPhoneで書く。だから、どこでも書ける。通勤途中だったり、仕事の移動の合間だったり、待ち時間のひと時だったり、寝る前のベッドの中だったり。とにかく、かしこまらず、さらりと書く。それが無理せず、ブログを続けられてる秘訣みたいなものかな。
実際、僕の日常はそれなりに忙しい。仕事も、家庭も、それなりにやることがたくさんだし、趣味にしたってカメラ以外にもロードバイクに乗ったり、プールで泳いだり、Runしたり、本を読んだり、映画や動画を観たり、やることは尽きなくて、もう週休3日制にしてほしいと本気で思ってる。そんな毎日だから、カメラもブログも必要以上に無理をしないという関係性に自然と落ち着いてきたんだと思う。けれど、それでも十分楽しめてる感覚があるのは、カメラもブログも無理せずとも楽しめるコトだったからだと思う。性に合ってたんだろうね。人生において、こういう相性のよいコトに出会えるのはけっこう貴重なこと。そりゃ、写真が上手くなりたいとか、ブログももっと読まれる本格的なものにしたいと思う気持ちもなくは無い。けれど、無理はしたくないんだ。僕が僕らしくいられるリラックスできる時間だからね。それが素直な気持ち。それで満たされてるんだから、幸福なのかもね。この世に感謝。